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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
11,21

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2021
08,22
そういえば前にオススメされたなあと思ってアマプラ見てみたら、レンタル価格がなんだか知らないけど驚異の880円とか言われて一旦見なかったことにしたんだけど、そういえばTSUTAYAなら普通の料金なのでは?と思い、旧作レンタル220円で借りてきた。

ジャンルもなんも分からん状態で見たので、てっきり異世界描写は最初だけでなんか現代日本にジャンプするのかなとか思ってたら全然違ってびっくりしたけど、ファンタジー描写でコーティングされているものの、物語のテーマがしっかりと現実の問題とリンクしてるからちゃんと感動も共感も出来る。

イオルフの無限の寿命と若い容姿で強調されてはいるものの物語のテーマはとしては結局、「いずれ別れは必ず来るのに出会いに意味はあるのか」ということであり、さらに言えば「なぜ人は生きるのか」という所に集約される。

体裁的にシングルマザーとなるマキアの境遇は「おおかみこどもの雨と雪」を思い出させるんだけど、あっちはなまじ現実世界で描いたせいでテーマ的にあまり重要ではない外的な(法的なものとか田舎のしがらみとか…)要素が気になりまくり物語が破綻しかかっていたけど、こちらはその部分をファンタジー要素が上手く包みこんでくれて、テーマに集中できる点もよかった。

「存在もしないヒーローの苦悩なんぞ描いて何の意味があるのか」という意見を見ることがあるが、それは比喩と言うものを理解できていないのである。肉体的な成長の無いイオルフは日々の積み重ねを記憶にしか保持できない。人間でいう肉体(物質)の成長の代替として物質的な積み重ねを「ヒビオル」(布)に託しているのだ。

それにしても物語の構成が上手い。幼少期の頃の登場人物であるラングやティダを効果的に再登場させることによって物語に深みを与えている。特にラングはマキアへの淡い恋心やそれが粉砕するまで、そしてマキアに積極的に協力してくれる人物として効果的に役割を果たしていた。

ティダも物語の展開的にエリアルが必ずマキアから「卒業」しなくてはいけなくて、その受け入れ先としてちゃんと役割を果たしていた。ただ、ティダの使い方は上手いと思うんだけど物語の範囲を狭めてしまっているようにも感じる。合う人合う人全員顔見知りというのに窮屈さを感じる部分があるかもしれない。マキアと全く関わり合いの無い女性をエリアルが連れてきていた方が世界に広がりがあるような気がしないでもないけど…個人的にはティダで全然OKです。

マキア、レイリア、クリムのイオルフ三人の人生対比もなかなかえぐい。産むことなくエリアルの「母」になったマキア、産むだけでメドメルを抱きしめることもなかったレイリア、そして一人だけ過去に戻ろうと縋り続けたクリム。

「母」とはなんなのか、エリアルの事を心に刻むマキアと忘れようとするレイリアの描写にすべてが詰まっているような気がする。どちらも「子供」を心の支えにして生きてきたものの、城の屋上で再会したメドメルをレイリアが抱きしめることはついになく、そのまま身を投げてしまう。

冒頭とラストの「ジャンプ」の対比。冒頭では見ているだけだったマキアがラストでレイリアを救う。その描写こそまさに「いずれ別れは必ず来るのに出会いに意味があるのか」の答えなんだろうなと思う。
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2021
08,03
ぶっちゃけると「貞子 vs 伽椰子」がアマプラで100円レンタルしていたので、その予習の為に見たんだけど、ちゃんと面白かった。さすが、一世風靡しただけのことはある。

原作の小説版では高山には不思議な力が無いらしいのでもっとビデオの検証シーンに尺が割かれていたらしい。他にも浅川に該当する人物が男だったりして、原作から変えている部分はかなりある。個人的に小説などの原作を忠実に映画に落とし込むのは時間的にも絶対不可能なので、どこがその作品の「核」なのかを明確に見極め、その「核」を際立たせるためならば他全てを変えても良いと考えているので、このアレンジは成功だったように思う。

では、リングの「核」はなんなのか。個人的には「呪いの解き方」だったと思う。ビデオの解析を進め、貞子の存在まで迫った二人が井戸から死体を助け出して浅川は殺されることは無かった。だが高山は殺された。貞子の死体を供養すれば助かるというのはただの「予測」にすぎず、本当は「ビデオのダビングによって他人に呪いを擦り付ける」しかない。このドライさがリングの「核」だと思う。ラスト、浅川が自分の息子を助けるために父親にダビングしたビデオを見せに行こうとするシーンは人の「業」を煮詰めたようで本当に恐ろしい。それまで浅川が息子の為に必死に頑張ってきた描写が全て裏返り、息子が助かるためなら父親を犠牲にするだろうなという言い知れぬ恐怖感がじわりと残る。

ホラーものはある意味で「スタンドバトル」に近い構成をしていると思う。呪い(スタンド攻撃)が一体どういう原理で発動しているのか、それを解き明かして攻略(解放)していく。ここを理解していないダメなホラーはホラーであることに「甘え」て呪いの原理部分をあやふやにしてしまう。それこそ「貞子の死体を供養すれば助かる気がする」というだけで本当に供養できてしまったりする。

もはや有名になり過ぎてしまった貞子が画面から出てくるシーンも、映画館やビデオ(当時)で見ていた観客たちの「まあ、そうは言っても画面の中のことだから」という無意識のうちに作り出している「壁」を壊すためのメタ的な描写の意味もあったんだろう。初見であの演出を見たらやっぱり恐ろしかったんじゃないかなと思う。

中盤、バケツ二個だけで貞子の井戸の水をくみ上げようとするシーンで「出来らぁっ!」「えっ バケツ二個で井戸の水を!?」というスーパー食いしん坊が頭をよぎり、水一杯のバケツを何度も引き上げる松嶋菜々子の膂力を見て「もうお前が伽椰子と戦えばいいのでは…」と心配していたけど、きっちりまとめてくれたので良かった。

というか、リング公開がもう20年も前というのが一番のホラーかもしれない。
2021
07,16
いや、あの…この映画「燃えよドラゴン」だわ。

キアヌ・リーブスがカッチョヨク暗殺アクションをしてる所をただただ見る映画。ある意味で潔いので、個人的には嫌いではない。もし事前情報無しで見てなんかこう…シナリオとかに期待して見ちゃってたらすごいガッカリすると思う。でも映画館映えはすると思うから難しいね。100分でまとめたのはえらいと思う。

「ジョン・ウィック」のフックになってるのは「飼い犬が殺された復讐をする」という所だと思う。実際に自分もこういう場合の定石だと恋人とか家族が殺されて~なのにペットなのか…と思って見てみたので、このフックは実際大成功だったんだと思う。というかこの映画、この要素が無かったらマジでただのテンプレ復讐アクションになっちゃうからなあ。

その犬も結局は亡き恋人から託されたという事でフタを空けてみれば「犬=恋人」とほぼほぼ同義だったりするので、「ペットロスの人にオススメ!」という訳では全くないと思う。

しかし、この映画にそんなこと突っ込むのもヤボなんだけど、物語の起点がショボすぎる。いい車に乗ってたらギャングに絡まれて車盗まれるついでに犬殺されるって…なにこの…なに?あまりにもしょうもない…。

なんか殺し屋時代の復讐とかさ…なんか…あったんじゃないのか…??という気がしないでもないけど、全てを忘れてキアヌの暗殺アクションに集中しようという粋な計らいなんだろう。

スナイパーの暗殺者との友情関係は結構良かったのに、この作品だけで退場してしまうのはかなり勿体ない。調べたらシリーズが4作もあって腰を抜かしたんだけど、それなら余計に生き残らせた方が良かったんじゃないか感がすごい。

つか、続編ですらも何やるのか想像つかないというかやる事ない気がするんだけど、4作…すごいな…。
2021
07,16
TVアニメは視聴済だったけど、アマプラで総集編前後編が配信終了になるというから駆け込み視聴。無数にビデオがある中で「配信終了」というのは見る動機になるのは間違いない。大筋は覚えていたので総集編は見ないでこれに突入してもよかったかな感はあるけど、没入感だいじ。

話題作だったので、特に情報を集めたわけではないけどプルシュカが実験の犠牲になるという事は事前に知ってしまっており、この作品に似合わぬ彼女の明るさが逆に痛々しい。映画の構成としてああ、こんないい子であるプルシュカを犠牲にするなんて…ボンドルドゆるせん!!という感情がちゃんと芽生える様になっている。

カッタルイことは嫌いなタチなので結論から書くとプルシュカが白笛になる展開、マジでやられたわ…。素晴らしい…本当に素晴らしい……。今思えばプルシュカのカードリッジ化は「過程」だったからあんなにダダ漏れてたんだと思う。

リコが深層に行くためにも、ボンドルドが上昇負荷を克服するためにも、結局必要なのは「命」という部分には注目したい。どんなに綺麗ごとを並べてもプルシュカの「犠牲」が無ければ白笛が手に入らなかったのは事実。もっと言ってしまえばボンドルドへの「協力」も彼女自身は合意していた面もある。リコもボンドルドも本質的には変わらないのだ。本質とは「アビスの先に進みたい」という欲求である。

自分は前知識としてプルシュカのカードリッジ化を知ってしまっていたのだけど、これを全く知らない状態で見ていたとしても「プルシュカはボンドルドに騙されてるんじゃないかな…?」という予想位は誰でも立てていたと思う。そして、これは完全にミスリードとして意図的に用意されていたルートなのだ。

その証拠に「カードリッジの状態になっても意思を持っている」というエゲツない設定もプルシュカが白笛になるためには必須の設定。これは明らかに偶然ではない。

リコが母親の白笛を持っていたのも上手い。先に進むためには命を犠牲にした白笛の入手が不可欠、白笛は持ち主以外では吹けないという説明は中盤でボンドルドから入るものの、「そうはいっても何らかの方法でリコが母親の白笛を継承したりできるのでは?」という選択肢があるから、プルシュカの白笛化まではなかなか思考が届かない。事実、ボンドルドも通常の方法とは言えない方法で白笛を手にしているわけだし。

疑問点が無いわけでも無くて、ボンドルドはプルシュカに特別目をかけていたわりに結局はただのカードリッジの一枚に過ぎなかったという点は良く分からない。自分に「愛情」を抱かせることで通常の10倍耐久性のあるスーパーカードリッジとかにしたのかなとか思ってたけど、そういう描写が明確にあった訳でもなく、プルシュカの特別扱いってなんだったんだろうという気はしないでもない。

しかし、プルシュカのしかけも素晴らしかったけど、やっぱりこの作品のキモはボンドルドだな。どっからどう説明しても完全に狂人・悪役なのにボンドルド自身は自分が正しいと信じて疑わないこの感じ。最高の悪役である。奇しくも個人的に一番好きな敵キャラであるジョジョの吉良吉影と声優が一緒(アニメ版)という点も、何か縁を感じざるをえない。
2021
07,12
いまさら!?!?!?という言葉すら生ぬるい、いまさら感。

実は、「もののけ姫」以降のジブリも一本も見ていないのでどんどん消化していきたかったんだけど、ジブリは日本でネット配信をしておらず、かと言ってブツ切り&ネタバレのオンパレードである金ローで見る気にもならず…(金ローの存在を否定する気はまるでないけど、あれは「二度目以降」をみんなで見る番組かなと思っている)ついにこの度重い腰を上げてTSUTAYAレンタル利用と相成ったのである。

ジブリクラスになると、やっぱり見ていなくても断片的な情報は入っていて、ラストの「シシ神=ダイダラボッチの首が取れる」という事だけは知っていた。あとはハウルが緑色のスライムになるとか…なんかそういう画的にインパクトのあるシーンは漏れやすいんだろう。

そんな「もののけ姫」、すごくよかった。

この映画の特筆すべきはアシタカだと思う。アシタカ、めっちゃいい男。冒頭、タタリ神と化したナゴの守と戦うシーン、里(と女性たち)を守りその代償として「呪い」を受けてしまう。弓の達人でカッコよく戦い、女性を守るのもカッコいい。ごく普通に暮らしていただけなのに、理不尽に「呪い」を押し付けられても尚「タタリ神に弓を向けた時点で覚悟は出来ていた」と言い切る態度。全てがカッコイイ。旅に出る動機「自分の呪いを解く」、これ以上の強い動機があるだろうか。どうしたってアシタカを応援したくなる。

例えば引き合いに出しちゃって申し訳ないんだけど初期のパズーにはここまでの魅力はない。もちろん後半になればムスカとやりあったり色々と魅力的なシーンも出てくるものの、開始10分、ドーラの息子と親方が筋肉対決をしているときにこれだけの魅力を醸し出せていたかと言えば流石に厳しい。

この差はラピュタの物語の動機が「空から降ってきた美少女を守る」というシチュエーションの力によって成り立っているのに対して、もののけ姫は「アシタカに死んでほしくない」というアシタカに魅力が無いと成り立たない事に起因しているのだと思う。アシタカに魅力が無ければ「呪いとか別にどうでもいい」となってしまうからだ。

アシタカのキャラ造形は本当にすごい。気高さと優しさの二面性がすさまじく高いレベルで融合している。正統派主人公と言っても良いのに、ここまで完成された主人公はなかなかいない。イメージ的にはジョナサン・ジョースターとか炭治郎に近い印象を受ける。なんか捻った設定を出さなくても、正統派の純度を高めればここまで魅力的な主人公を作れるんだなあと感心する。

旅の途中で助けるのが「おっさん二人」というのもアシタカの聖人具合をより高めている。画面的にもどうなんだという感じなのだが、美少女でも子供でもない「おっさん二人」を懸命に助けるからこそ、アシタカの魅力がより際立つ。

さらにエボシ御前から石火矢の説明を聞いていた時、当然途中で視聴者と同じくアシタカの呪いの原因になったタタラ神がエボシ御前せいで生まれた事に気が付くんだけど、話の途中で大声をあげるような三流の行いはせずに最後まで黙って話を聞いたうえで、あくまで理知的にエボシ御前との会話を続けるアシタカ。すごい、すごすぎる。「怒って当然」のシチュエーションに当たってもなお理性を保ち続けるその姿勢は別に自分とは無関係の場所に立った「怒り」にすらも乗っかろうとする浅ましい現代人に警鐘をならしているようだ。(そんなことはない)

アシタカの造形は凄まじいと思うけど、「もののけ姫」というタイトルのわりにサンはこう…別に…という感じがする。アシタカが理知的なので、それの対比で直情的というか野性的になったのかな…くらいの感覚。キャラの魅力で言えばエボシ御前の方がある気がする。

里の者たちに慕われるエボシ御前は開発の為に山を崩さなければならない、その山を守るサンたちという構図はどちらにも理があって非常に良かった。ただ、その分「不老不死の為にシシ神の首を狙う」という第三勢力が現れる展開は映画的なケリをつけるためなのかな…という感が否めなかったかなあ。

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