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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
11,21

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2021
07,12
いまさら!?!?!?という言葉すら生ぬるい、いまさら感。

実は、「もののけ姫」以降のジブリも一本も見ていないのでどんどん消化していきたかったんだけど、ジブリは日本でネット配信をしておらず、かと言ってブツ切り&ネタバレのオンパレードである金ローで見る気にもならず…(金ローの存在を否定する気はまるでないけど、あれは「二度目以降」をみんなで見る番組かなと思っている)ついにこの度重い腰を上げてTSUTAYAレンタル利用と相成ったのである。

ジブリクラスになると、やっぱり見ていなくても断片的な情報は入っていて、ラストの「シシ神=ダイダラボッチの首が取れる」という事だけは知っていた。あとはハウルが緑色のスライムになるとか…なんかそういう画的にインパクトのあるシーンは漏れやすいんだろう。

そんな「もののけ姫」、すごくよかった。

この映画の特筆すべきはアシタカだと思う。アシタカ、めっちゃいい男。冒頭、タタリ神と化したナゴの守と戦うシーン、里(と女性たち)を守りその代償として「呪い」を受けてしまう。弓の達人でカッコよく戦い、女性を守るのもカッコいい。ごく普通に暮らしていただけなのに、理不尽に「呪い」を押し付けられても尚「タタリ神に弓を向けた時点で覚悟は出来ていた」と言い切る態度。全てがカッコイイ。旅に出る動機「自分の呪いを解く」、これ以上の強い動機があるだろうか。どうしたってアシタカを応援したくなる。

例えば引き合いに出しちゃって申し訳ないんだけど初期のパズーにはここまでの魅力はない。もちろん後半になればムスカとやりあったり色々と魅力的なシーンも出てくるものの、開始10分、ドーラの息子と親方が筋肉対決をしているときにこれだけの魅力を醸し出せていたかと言えば流石に厳しい。

この差はラピュタの物語の動機が「空から降ってきた美少女を守る」というシチュエーションの力によって成り立っているのに対して、もののけ姫は「アシタカに死んでほしくない」というアシタカに魅力が無いと成り立たない事に起因しているのだと思う。アシタカに魅力が無ければ「呪いとか別にどうでもいい」となってしまうからだ。

アシタカのキャラ造形は本当にすごい。気高さと優しさの二面性がすさまじく高いレベルで融合している。正統派主人公と言っても良いのに、ここまで完成された主人公はなかなかいない。イメージ的にはジョナサン・ジョースターとか炭治郎に近い印象を受ける。なんか捻った設定を出さなくても、正統派の純度を高めればここまで魅力的な主人公を作れるんだなあと感心する。

旅の途中で助けるのが「おっさん二人」というのもアシタカの聖人具合をより高めている。画面的にもどうなんだという感じなのだが、美少女でも子供でもない「おっさん二人」を懸命に助けるからこそ、アシタカの魅力がより際立つ。

さらにエボシ御前から石火矢の説明を聞いていた時、当然途中で視聴者と同じくアシタカの呪いの原因になったタタラ神がエボシ御前せいで生まれた事に気が付くんだけど、話の途中で大声をあげるような三流の行いはせずに最後まで黙って話を聞いたうえで、あくまで理知的にエボシ御前との会話を続けるアシタカ。すごい、すごすぎる。「怒って当然」のシチュエーションに当たってもなお理性を保ち続けるその姿勢は別に自分とは無関係の場所に立った「怒り」にすらも乗っかろうとする浅ましい現代人に警鐘をならしているようだ。(そんなことはない)

アシタカの造形は凄まじいと思うけど、「もののけ姫」というタイトルのわりにサンはこう…別に…という感じがする。アシタカが理知的なので、それの対比で直情的というか野性的になったのかな…くらいの感覚。キャラの魅力で言えばエボシ御前の方がある気がする。

里の者たちに慕われるエボシ御前は開発の為に山を崩さなければならない、その山を守るサンたちという構図はどちらにも理があって非常に良かった。ただ、その分「不老不死の為にシシ神の首を狙う」という第三勢力が現れる展開は映画的なケリをつけるためなのかな…という感が否めなかったかなあ。
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2021
07,05
時をかける少女★★★★
→100分切ってるとは思えない濃密さ。要素もシンプルで見やすい。ガーネット最強。 

グーニーズ★★★
→これ多分アメリカ少年少女の大長編ドラえもんだな...。

孤狼の血★★★
→水死体の○○○○が見れるのは孤狼の血だけ!

ラヂオの時間★★★
→一番の元凶である女優がなんのお咎めもないのがな...これが現実か...。

Fight Club★★★☆
→ファイト・クラブについて口にしてはならない。 

ヱヴァンゲリヲン新劇場版序・破・Q★★★☆
→Q初めて見たけど、庵野監督の本当はロボより戦艦描きたいんスワァ... という気持ちが伝わってきて良かった。

トイ・ストーリー4★★★
→単体で見ればコンセプトもいいとは思うんだけど3の後にやる事かな?とは思う。

ディレクターズカット ブレードランナー 最終版★★ →
先にディレクターズカットを見たのは失敗な気がする。インチキ日本語っぽいBGMがすごい眠気を誘発する。

ロッキー1~3★★★★
→ロッキー3のラスト一枚絵見ればすべてが報われる。多分これ以降は見ない方が良いような気がする。

ジュラシック・バーク★★★★
→今見てもめちゃくちゃ面白い。アニマトロニクスのリアルさはCGとは一線を画す「現実感」がある。

ロスト・ワールド★★
→2の駄作なりを遺憾なく発揮。恐竜見に来て車の宙刷りスペクタクルをずっと見せられる意味とは...?

劇場版ポケットモンスター みんなの物語★★★
→ゼラオラさん雷単 マジ!?(格闘ないの!?)

最高の人生の見つけ方★★★
→ 「世界一の美女へのキス」、めちゃくちゃ良かった。

最強のふたり★★★
→ タイトルがつよすぎる。 絶対見たくなる。

パラサイト 半地下の家族★★★☆
→後頭部にあんな思いっきり石ぶつけられて死んでないとかマジ!?

ゲット・アウト★★★☆
→鹿ランス強い。

オリエント急行殺人事件★★★☆
→このオチ、この作品が元祖なのか...。なるほど...。

ミッション:インポッシブル★★★
→吊りミッションが完全にコントに見えるの、バロディされまくりの宿命。

メメント★★★
→たぶんノーラン監督の作品て全部こういう味なんだろうなという気がする。

スタンド・バイ・ミー★★★☆
→子供たちが懸命に一晩かけて歩いても不良が車を30分も飛ばせば追いついちゃう距離感が良い。
2021
06,26
めちゃくちゃよかった。普段、自分はベットに寝転がりながら映画を見てるんだけど、中盤辺りから文字通り画面にくぎ付けになってしまって体育座りをしながら見てた。144分、あっという間だった。

まず何よりも一番大切なことは、チャックがいいやつだったことだ。冒頭で社員に対して激を飛ばす厳し目な描写もあるけど、荷物を運んできた子供を褒めたり、友人の奥さんの病気を心配して医者を紹介しようとしたり…。恋人も大切にして、事故で床に落ちたプレゼントされた懐中時計を拾うために救命胴衣を切ったり(ここは危ない気もしたが)。とにかく彼が気の良いヤツというのが良く分かる。

それを決定付けたのは、漂流した島に他のパイロットの死体が流れてきた時。チャック自身も余裕がないのにも関わらず財布に入っていた家族との写真を胸のポケットに入れてあげ、丁寧に埋葬して墓石まで用意してあげたのだ。どこまでも他人に対して礼儀を失わない。生きて欲しい、チャックに助かって欲しい。本当にそう思った。そして、そう思わせた時点でこの映画は間違いなく「勝ち」なのである。

火を得る場面もチャックが必死に頑張って頑張って手の皮を剥きながらも棒を回してこするんだけど火が付かなくて一旦止めて、ココナッツ食べてる時に皮を前後に削ぐ動作を火つけに応用したら…??という事を思いついてやってみるんだけど、それでもうまくいかなくて癇癪を起してフテ寝して、それでもあきらめずにトライしてようやく火を得た時の喜びといったら…こっちも完全にシンクロして大喜びである。

漂流してきた荷物を最初は開けずにとっておいたチャックには宅配業者としてのプライドを感じるし、それでも仕方なく開けるのにも同情出来る。そして、ビデオテープやスケート靴など一見すると役に立たなさそうなものも創意工夫で活用していく様は見ていて痛快。諦めないという事は発想を生むんだなと感じる。

忘れてはならないのは「友人」ウィルソンの存在。こんなに、愛おしく、大切なボールある??チャックはどれだけウィルソンに救われ、支えられただろう。完全に孤独な無人島の中で自分以外の存在がただ「隣にいてくれる」ということ。どれだけ心強いだろう。ウィルソンがピンチになる度にチャックと一緒に「ウィルソン!!!!」と叫んでしまう。

それだけにウィルソンとの別れはめちゃくちゃ辛かった。でも、この作品のすごい所は「ウィルソンと決別する」事をチャック自身に選ばせた事だ。波に攫われていつの間にか消えてしまう、という別れではなく「いかだ」か「ウィルソン」、どっちかを選べ、というシーンを作ってあえていかだを選ばせたのだ。

ウィルソンは本当に大切な存在。それでも、生き延びる希望のいかだ、自分自身の命の方が大切。なんという残酷な決断だろう。この直後に救助のタンカーが現れるのもすさまじいタイミング。

全体を通して、観客の「興味」を引くのが上手い。例えば海岸の遠くに光が見えてゴムボートでそこまでたどり着こうとするところ、最初チャックは光に気付いてなかったんだけど、観客には光があからさまに見えて、チャック後ろ!後ろ!!とチャックが気づくがどうかにハラハラしたり、せっかく手に入れた懐中電灯をつけたまま寝てしまい、電池切れを観客に見せつけたり…とにかく短いスパンの中で「どうなるんだろう」という興味を尽きさせない。それに加えてチャックの歯痛のような比較的長いスパンの仕掛けもあるのでどんどん先が見たくなる。

私はずっとケリーにあげたプレゼントはなんだったんだろう?と気になってたんだけど、映画の中で明かされることはなかった。この用意周到な作品があんな意味深なシーンを作っておいて「忘れてました」で済ますわけがないよなあと思って考えてみたんだけど、たぶんあれはチャックにあげた懐中時計と対比になってるんだと思う。

貰ったプレゼントをずっと持っていたチャックと貰った事すら忘れていたケリー。四年間という歳月が流れていたことを考えると仕方がないとはいえ、チャック帰還後を暗示していたんだなと思う。

たった一つだけ残しておいた無人島に流れ着いた宅配物。「ケリーに再会する」というプライベートな目的と「荷物を送り届ける」という仕事に対する使命。この二つがあったからこそ、チャックを無人島から脱出できたのだ。荷物の中身は問題ではない。宅配業者が荷物の中身を見るか?そういうことである。
2021
06,26
ねえ…バクシーシ(めぐんでくれよォ)

見るかどうかかなり悩んだ末、やっぱり見ない事には始まらないだろうと思って見てみた。コミックの実写版は初めて見るので「コミックの実写」はどんな感じなのか?それを確認しておきたかったという部分が大きい。ジョジョに関しては、ハンドルネームの「よしかげ」の由来が「吉良吉影」であるくらい思い入れはある。自分内ベストコミックTOP3には間違いなく入ってくるだろう。

なので今回は「原作ファンが実写版を見た」場合になるだろう。「原作を知らないで実写版を見る」もやってみたい気もするけど、この作品を見る限りまあ、やらんでいいかな…という気持ちの方が強い。

この作品を見るにあたり、自分が一体「ジョジョ」のどこに魅力を感じているのか(それがちゃんと表現されているか?)を整理してみたかったんだけど今一つ言語化が出来なかった。でも、見終わった後だとすごく良く分かる。実写内にそれがめちゃくちゃ「足りてない」からだ。

まずなによりも一番マズいのが「なんで4部からなのか?」という部分である。いきなり4部から始まるもんだから承太郎はなんか急に出てきたエラそうな男になり、仗助との関係性も一回言葉で説明されただけでさっぱり良く分からず、スタンドの説明もざっとしかされないので良く分からず…と何も良い事がない。

言うまでもなく、「4部からはじめる」事自体は別にいい。ただ、4部からはじめるという「覚悟」を決めたのならそれまでの過程を全てすっとばして分かり難くなるデメリットをカバーする程のメリットを提示できなければならない。これでは「4部は日本人が主人公だからキャストにイケメンつかえるじゃん」以上の理由が何も見えてこない。

この流れでの最大のNGは億泰のおやじ。4部から始めたものだから当然DIOの下りはカットされ、結果「なんかバチがあたってこうなりました」という訳のわからない流れになっている。あまりにもひどい。そうじゃないんだよ。中途半端に原作の流れを引っ張ってくるからこういう訳のわからない事になる。

DIOの説明を放棄するのなら億泰のおやじがこうなった理由を再構成する必要があって、それはたぶん作品全体のバランスを崩すことになるんだけど、それはもう当然の労力として受け入れなければならない。原作ジョジョが積み重ねてきた過去100年分を一気に清算するのだから労力が掛かって当たり前。命を圧縮して金を得る鉄骨綱渡りをやらなければならないのだ。

とにかく実写版は「積み重ね」がない。原作のシーンやシチュエーションを超高速で摘んで過程を凄まじい勢いで「こなして」行く。なんのタメも無く原作にあったはずのセリフが比較にならない程に重みも無く空しく響いていく。「原作の名場面、実写でやってみた」以上の意味を感じられない。

結局、億泰のおやじと同じなんだけど、ペース的に原作と同じことが出来るはずがないのは分かり切ってるので「生かすところ」「切る所」を明確にしなければならない。原作の「ここ」という部分を生かすために他は全部変える、その位の覚悟がなければ実写にするべきではないのだ。

こんなのを公開してしまって、初めて映画でジョジョに触れる人に「ジョジョってこういう感じなんだ」と思われてるのかと思うと本当に我慢がならない。

終盤を見ると、続編があるのなら音石をカットして吉良に行こうとしてるんだろうけど、吉良はこんな自分に危害が及ばないようなシーンで行動を起こす様な男では決してないんだけど、まあ、もうそんな事すら些細なことである。時間が無い割に山岸由花子を無理やり入れたのも登場人物が男性だけになるからだろう。まあ、もう細かく考えれば考えるほど辛くなってくるのでこの辺でやめる。

一つだけ。バットカンパニーを撃破した下りで治したミサイルを撃墜できなかった理由が原作では「間に合わなかったから」だったのが、「命令実行中は完了するまで別の命令を実行する事が出来ない」に変わっていたのはかなり「ジョジョ」っぽかった。ああいう「ここでこの設定生きるのか」という気付きはジョジョの魅力だからね。まあ、そこだけかな。
2021
06,24
いや、すまん…めちゃくちゃ面白かったわ…。

なんだかんだ言ってもう半世紀も前の映画、いまの観点で見たら厳しい面もあるのでは?と思ったけど、全然そんなことなかった。色褪せない名作ってこういうのを言うんだな…。

冒頭、スカートの中で靴を直すアン王女のキャラ立てがもうすごい。これ本当に半世紀前??今でも全然通用する手法。あのたったワンシーンでアン王女の気品に溢れる外側の振る舞いと親近感を覚える内面を一気に表現している。

恋愛映画における一番大切なことは「ヒロインを好きになってもらうこと」。もう、これ以外にない。愛着もなんもない、生きようが死のうがどうでもいいキャラの恋愛に興味を持て、というのが無理な話で、ヒロインのキャラ立てを開始10分以内に速やかに行わなければならないという鉄則を忠実に実行した形だろう。

しかし、このヘプバーンの気品のあるお顔はすごい。これで「ただの寄宿舎の生徒です」と言われても無茶言うなという感じだけど「お忍びでお城から逃げてきた王妃です」と言われたら納得するしかない。記者役のグレゴリー・ペックも超カッコいい。美男美女は鼻に付くという側面もあるけど、ここまで突き抜けられるとまさに「映画」という非現実的な物語の世界に入り込める感じがする。

デートで色んな名所を回るけど、トレヴィの泉のシーンが良かった。なんというか、ここが!!「トレヴィの泉」!!です!!みたいにバーンと出すんじゃなくて、こう…角を曲がったらなんか有名な場所じゃない?ここ??みたいな感じで自然に出てくる所が良かった。まるで、自分もローマを散策しているような、そんな気分にさせてくれる。奥の方で子供がトレヴィの泉の彫刻に捕まって遊んでたりして、時代のおおらかさを感じたりもする。

最後のインタビューのシーン、狭いブラッドレーの部屋と対比するかのような広々とした部屋で「記者」と「王女」に戻ったブラッドレーとアン王女。お互い言葉を交わすことが殆ど出来ない状況での表情のみの「会話」が切ない。インタビューが終わり、記者が次々と引き上げていく中で最後まで残るブラッドレー。そしてアン王女が消えた方向を見つめたあと、彼も部屋を去っていく…。

いや、思ったよ??まさかここ、アン王女が引き返してきてブラッドレーと抱き合ったりするんじゃないかな?ってちょっと思ったよ??いやだって、ここのシーン「そう思わせる」ためのシーンじゃん!?いや、でも、でも、でもなんだよ、そう、ここでだよ、ここでアン王女とブラッドレーが抱き合ってるような作品なら伝説になってないんだよ。ここで別れるからこそ、あの思い出がアン王女とブラッドレー、そして観客の中にだけ残ってるからこそ、ローマの休日は傑作なのだ。

アン王女は今後も皇族の務めを果たし、やがてどこかの王族と結婚もするのだろう。しかしもうワガママやヒステリーを起こすことはない。なぜなら彼女は心の中に永遠に消えることのない「思い出」という宝物を得たからだ。どんなに辛い事や苦しい事があっても、あのローマの一日を思い出せば勇気と希望が湧いて乗り越えていける、一生の思い出とはそういうものだ。

誰の中にもある特別な思い出、「ローマの休日」という映画はそれ自体が誰かの思い出になっているような、そんな作品だった。

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