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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
11,21

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2020
10,04
結論から言うと合わない映画だった。

まず、アンドリューの事を全く応援出来ない。偉大なジャズドラマーになるという夢があるのは分かったけど、視聴者側に「彼の夢が叶うと良いな」と思わせるエピソードが一つもなかった。家族に音楽をバカにされたとはいえ、他の身内の功績や活躍を否定し、自分から付き合って欲しいといった恋人に対しても一方的に別れを告げる。挙句の果てには一度別れた恋人にもう一度自分の演奏を聴きに来てほしいと電話する様子は普通にサイコパスの部類だった。一体どういう心理になればあの状況でもう一度恋人と「やり直せそう」だと考えられるのか。

脚本もひどい。分岐点となる要素が全て「偶然」で成り立っており、それになんの積み重ねも思い入れもない。タナーの楽譜を無くした時も、あれは当然フレッチャーが隠したものだと思っていたらどうもそうではなく、本当に偶然「無くなって」しまったらしい。しかも、アンドリューを代役として立たせるためだけにタナーに楽譜が覚えられないという取って付けたような設定を付与している。それ以外にも、アンドリューが演奏会に行く途中のバスが「偶然」事故る、学校を退学した後に「偶然」立ち寄ったバーでフレッチャーと再会する…など、完全に「展開ありき」のつなぎ合わせでなんの必然性も感じられない。

フレッチャーの指導方法も全く共感できるものではなかった。「その人間が天才であるならばどんな苛烈な指導をしても必ず出てくる」という方針に共感は出来ないものの、一定の理解は出来る。だが、最後にフレッチャーは自分を音楽院から追い出す密告をしたアンドリューの事を陥れ、JVC音楽祭で多くのスカウトの前で再起不能にしようとまでした。自身の教育方針が苛烈と分かって居ながら自分に向けて憎しみが向けられることを想定していないというのはあまりにも無責任だし、なんら美学がないと感じてしまった。

ただ、JVC音楽祭で逆境に立ったアンドリューがその逆境をはねのけ、自分の演奏を仕切ったところだけを見ると、彼の「その人間が天才であるならばどんな苛烈な指導(あの「陥れ」ですらも「指導」と解釈するなら)をしても必ず出てくる」という信念だけは結果的に見れば達成されたようにも見える。そこを勘案してギリギリ★2とした。
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