2020 |
09,26 |
うおお…これは……。なるほど、「ラストがつらい」とは聞いてたけどこういう辛さかあ…。でもなんていうか「胸糞」ってよく書かれてたけど「胸糞」とはちょっと違う気がする。どっちかというと「こういうことってあるよね…」という共感の方が強かった。
ラストのウワサ以外はほとんど知らずに見たので、途中から普通に化け物が出てきて驚いた。確かに流石に「なんかスーパーマーケットの周りに霧が立ち込めてきて不気味」という要素だけでは二時間は引っ張れなかったか。化け物もほぼ舞台装置のようなものなので、あれを全滅する事で解決する類の作品ではないなと思ってしまうと化け物とのアクションシーンがほぼプロレスに見えてしまう部分もあるかもしれない。
「霧」と「化け物」に隔絶されたスーパーマーケットは社会の縮図といったところなのだろう。そして社会を統治するには「宗教」か「政治」しかなく、そのどれにもたよらず自分の信念を貫いて生きていくにはアウトローになるしかない。主人公たちは最終的にアウトローとなった。
「政治」の代表として出てきたであろう弁護士のノートンは事態を異様さを飲み込めず、そのままリタイアしてしまった。非常事態時において臨機応変に対応できないと政治には何の力もないといったところか。政治VS宗教の戦いはミストの中においては宗教に圧倒的な軍配があがったようだ。
「宗教」の強い所は「霧の中に化け物が居る」という事実が確定した後でも、その化け物ですらも自分たちの「味方」に出来る所だろう。ノートンとの議論だった「化け物がいるかいないか」では「化け物はいる」で確定したが、その化け物が「神による罰か否か」という部分は最後まで結論を出すことが出来なかった。
こういった「結論を出すことが出来ない」事柄に対して半ば一方的に「こうだ」という結論を示してやる事で人々に「安心感」を与える、まさに「宗教」の根源部分がこの映画には描かれている。通常時の正常な思考なら多角的な考え方も出来るだろうけど、この非常事態において思考停止で信じられる存在というのはとてつもなく魅力的に映ってしまう。通常時では「狂人」だったカーモディが異常事態では「聖人」となり、逆に主人公たちこそ「狂人」となる。誰もがジムになる可能性はあると思う。
カーモディのヒステリック気味な演説と、着々と自分の「王国」を築いていく様子はこの作品で一番の「胸糞」とも言えるシーンだったので、オリーがぶっ殺してくれた時は正直胸がすっとした。とはいえ、「教祖の暗殺」は宗教においてかなりの悪手ではある。宗教は教祖が死ぬことによって完成するからだ。あの後、速攻で軍隊が来て事態が解決したから良いものの、あのままだったら多分カーモディは「教祖」として崇められ続けていただろう。
ラストは本当に…切ない…。これを見て「デヴィッドもうちょっと頑張れば救われたのになあ」とは口が裂けても言えない。本当に数秒前まではこの事態が永遠に続いていたもなにも不思議ではなかった。しかし、これはスーパーマーケットから脱出し、嫁のステファニーの死を確認してしまったのが大きい。
ステファニーの死を確認するまでもデヴィッドは何が何でもビリーと嫁を再会させることを第一に頑張ってきた。それが永遠に叶わないと悟った時、「次」の目標であるビリーとの約束(ビリーを怪物に殺させない)を守る=「ビリーを自分の手で殺す」を遂行する方にシフトしてしまったのだろう。
「ステファニーに再会する」という具体的目標と「いつ晴れるとも分からない霧と戦い続ける」という終わりのない目標の間にはあまりも大きな差がある。
ラスト、一番最初に息子を助けるために霧に消えたおばさんが息子と一緒に米軍に助けられているという描写がある(解説見て知った)のは残酷すぎる。ちょっと納得いかない部分もある(化け物は霧から隔絶された空間にいれば襲われない=車では移動出来たという解釈だとおばさんどうやって助かったのか不明)けど、構図としては美しいのでまあ、文句はない。
このノリだとノートンも生きてそうなんだけど、ノートンは生死不明なんだよなあ。薬局に居た黒人はまた別人みたいだし。(最初はあれがノートンだと思ってたけど、解説見るとどうもそうじゃないらしい)
ラストのウワサ以外はほとんど知らずに見たので、途中から普通に化け物が出てきて驚いた。確かに流石に「なんかスーパーマーケットの周りに霧が立ち込めてきて不気味」という要素だけでは二時間は引っ張れなかったか。化け物もほぼ舞台装置のようなものなので、あれを全滅する事で解決する類の作品ではないなと思ってしまうと化け物とのアクションシーンがほぼプロレスに見えてしまう部分もあるかもしれない。
「霧」と「化け物」に隔絶されたスーパーマーケットは社会の縮図といったところなのだろう。そして社会を統治するには「宗教」か「政治」しかなく、そのどれにもたよらず自分の信念を貫いて生きていくにはアウトローになるしかない。主人公たちは最終的にアウトローとなった。
「政治」の代表として出てきたであろう弁護士のノートンは事態を異様さを飲み込めず、そのままリタイアしてしまった。非常事態時において臨機応変に対応できないと政治には何の力もないといったところか。政治VS宗教の戦いはミストの中においては宗教に圧倒的な軍配があがったようだ。
「宗教」の強い所は「霧の中に化け物が居る」という事実が確定した後でも、その化け物ですらも自分たちの「味方」に出来る所だろう。ノートンとの議論だった「化け物がいるかいないか」では「化け物はいる」で確定したが、その化け物が「神による罰か否か」という部分は最後まで結論を出すことが出来なかった。
こういった「結論を出すことが出来ない」事柄に対して半ば一方的に「こうだ」という結論を示してやる事で人々に「安心感」を与える、まさに「宗教」の根源部分がこの映画には描かれている。通常時の正常な思考なら多角的な考え方も出来るだろうけど、この非常事態において思考停止で信じられる存在というのはとてつもなく魅力的に映ってしまう。通常時では「狂人」だったカーモディが異常事態では「聖人」となり、逆に主人公たちこそ「狂人」となる。誰もがジムになる可能性はあると思う。
カーモディのヒステリック気味な演説と、着々と自分の「王国」を築いていく様子はこの作品で一番の「胸糞」とも言えるシーンだったので、オリーがぶっ殺してくれた時は正直胸がすっとした。とはいえ、「教祖の暗殺」は宗教においてかなりの悪手ではある。宗教は教祖が死ぬことによって完成するからだ。あの後、速攻で軍隊が来て事態が解決したから良いものの、あのままだったら多分カーモディは「教祖」として崇められ続けていただろう。
ラストは本当に…切ない…。これを見て「デヴィッドもうちょっと頑張れば救われたのになあ」とは口が裂けても言えない。本当に数秒前まではこの事態が永遠に続いていたもなにも不思議ではなかった。しかし、これはスーパーマーケットから脱出し、嫁のステファニーの死を確認してしまったのが大きい。
ステファニーの死を確認するまでもデヴィッドは何が何でもビリーと嫁を再会させることを第一に頑張ってきた。それが永遠に叶わないと悟った時、「次」の目標であるビリーとの約束(ビリーを怪物に殺させない)を守る=「ビリーを自分の手で殺す」を遂行する方にシフトしてしまったのだろう。
「ステファニーに再会する」という具体的目標と「いつ晴れるとも分からない霧と戦い続ける」という終わりのない目標の間にはあまりも大きな差がある。
ラスト、一番最初に息子を助けるために霧に消えたおばさんが息子と一緒に米軍に助けられているという描写がある(解説見て知った)のは残酷すぎる。ちょっと納得いかない部分もある(化け物は霧から隔絶された空間にいれば襲われない=車では移動出来たという解釈だとおばさんどうやって助かったのか不明)けど、構図としては美しいのでまあ、文句はない。
このノリだとノートンも生きてそうなんだけど、ノートンは生死不明なんだよなあ。薬局に居た黒人はまた別人みたいだし。(最初はあれがノートンだと思ってたけど、解説見るとどうもそうじゃないらしい)
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