2018 |
11,10 |
あああ~!!ああ……。もうね、無理。おれは絶対にディズニーを映画館に見に行けない。いや、もうマジで本当にヤバイわ。プロスペクターが裏切った(本性を出した)瞬間、めちゃくちゃ叫んでしまった。
いや、ほんとさ!そうなんだよ!!あのプロスペクターじいさんは「箱」に入ってるから品物の「格」としては上なんだよな。特にオタクにとっては箱に入ってた方が「嬉しい」訳じゃん。おれにもその気持ちが凄く良く分かる。だから、あの「箱」に関しては「そうなんだ」位にしか思ってなかった。でもさ~、違うんだよな~!!あの「箱」って要素がめちゃくちゃ上手く機能してるんだよな。
まず、箱に入ってるって事はウッディやジェシーの様に「子供と遊んだ幸せな記憶」が無いんだ。あの「不幸」が描かれているジェシー(後述)ですらも、その「不幸」はエミリーと遊んだという幸せな記憶の上に成り立っている。だからジェシーはウッディが最終的にアンディの元に帰るのを止めはしない。自分は捨てられてしまったが、待っている子供がいてくれるのなら、帰るべきだという事を経験で理解しているからだ。
でもプロスペクターは違う。その記憶が「無い」んだ。生まれてから箱の中から出されて遊ばれたことがなく、ずっと在庫処分に並んでいた。もうさ、プロスペクターが在庫処分に並んでるってところで本当にシビれるよな。マジで売れ残りそうなポジションしてんだよ、プロスペクター…!
そのずっと虐げられていたプロスペクターが「マニアの展示品になる」というオモチャ本来の役割から外れることになったとしても、「自分を必要とされたい」という気持ちからウッディを強制的に引き留めようとする気持ちも痛いほど分かる…。必要とされてえよなあ…!!分かるよ…!!しかもその条件がウッディやジェシーが揃ってる事ってのも泣けるよな…!自分だけじゃ需要が無いんだぜ…??だから、必死でウッディを引き留めてるんだ、泣ける。泣けるよプロスペクター…!!
でも、プロスペクターはある意味で可哀想な奴だったからちゃんと救いもあったと思うんだよな。ラスト、顔にいたずら書きしちゃう女の子の元に運ばれて、プロスペクター自身はイヤな顔してるんだけど、彼はようやく「箱」の中から出て子供の元に「おもちゃ」として存在する事が出来たんだ。箱越しの「コレクション」ではなく、「おもちゃ」本来の役割が果たせるんだ。それはきっと、彼にとっては幸福なことなんじゃないかな。
対して「盗み」という正真正銘の悪事を行ったアルは精神崩壊??の末に店のおもちゃを全品1ドルで放出するという「末路」を辿っている。この映画での悪役はこの二人だったと思うけど、ラストの描かれ方がこうも違う。やっぱり、スタッフとしてもプロスペクターには同情の余地アリと判断されたんじゃないかなあ。
ジェシーの描かれ方も良かった。まずは陽気な新キャラとして登場するものの、ウッディが自分の家に帰ろうとすると「暗闇が怖い」と言ったのが良かった。暗闇、怖いよね。そう、この「暗闇が怖い」という単純な理由は、それ故にシンプルだ。彼女に関してはあの時点ではまだ出たての新キャラだ。その彼女の内面から発せられる理由よりも「暗闇が怖い」という普遍的な理由に根拠を置いた方が感情移入がしやすい。
それからしばらくたって、ジェシーの描写時間が増えてから、ジェシーのトラウマを描く。仲の良かった、ずっと遊んでくれると思っていたエミリーとの別れ。めちゃくちゃ泣ける。というか、トイ・ストーリー全体に言える事なんだけど、「忘れていたあのころ大切だったおもちゃ」という誰もが持っている記憶にダイレクトに訴えているのがこの作品の最大のキモなんだ。誰もが強い共感を得られる題材。これを手にした瞬間に、その作品は成功が約束されるといっていい。共感は感情移入を生み、感情移入は感動を呼ぶからだ。
ジェシーとエミリーの話は来るべきウッディとアンディの別れも示唆している。今回もウッディは「アンディの元に戻る」という動機の元に行動をしているけれど、その根本、もしこの先「アンディがウッディを必要としないときが来たらどうなるのか?」という問いかけをしているのだ。(そしてこの問題はおそらく「3」で描かれている)
とはいえ、今回のところはウッディはアンディの元に帰ってきた。修理師の修繕した腕は完璧だったが、ウッディにとってはアンディは修復してくれた太めの腕の方が「喜び」を与えれくれる。将来(アンディの成長)を意識しつつもあえて「今はこれで良い」と言ったウッディ。完璧である。
ピクサーの映画を見ると、シナリオにおいて「共感」がいかに重要かを改めて感じることが出来る。ドキドキハラハラしたシーンも、結局は「そのキャラが助かって欲しい」という感情が無ければ楽しむことはできない。
ただ、全く無駄の無いピクサーのシナリオにおいて、今回は「二体目のバズ」があまり有効に機能しているように思えなかった。二体バズが必要だった意味は何だったんだろう…。あと、スター・ウォーズのパロをやり過ぎてそこまで入れないでも…?という気がしないでもなかった。今(2018年)となっては同じ会社になっちゃったなあ~という笑い話にはなるかもだけど。
「3」があんまりにも待ち遠しくて一気に見てしまおうかと思ったけど、ぐっとこらえて来週にする。約束された最高映画「3」をこんなに一気呵成に見てしまっては勿体ないだろう。
いや、ほんとさ!そうなんだよ!!あのプロスペクターじいさんは「箱」に入ってるから品物の「格」としては上なんだよな。特にオタクにとっては箱に入ってた方が「嬉しい」訳じゃん。おれにもその気持ちが凄く良く分かる。だから、あの「箱」に関しては「そうなんだ」位にしか思ってなかった。でもさ~、違うんだよな~!!あの「箱」って要素がめちゃくちゃ上手く機能してるんだよな。
まず、箱に入ってるって事はウッディやジェシーの様に「子供と遊んだ幸せな記憶」が無いんだ。あの「不幸」が描かれているジェシー(後述)ですらも、その「不幸」はエミリーと遊んだという幸せな記憶の上に成り立っている。だからジェシーはウッディが最終的にアンディの元に帰るのを止めはしない。自分は捨てられてしまったが、待っている子供がいてくれるのなら、帰るべきだという事を経験で理解しているからだ。
でもプロスペクターは違う。その記憶が「無い」んだ。生まれてから箱の中から出されて遊ばれたことがなく、ずっと在庫処分に並んでいた。もうさ、プロスペクターが在庫処分に並んでるってところで本当にシビれるよな。マジで売れ残りそうなポジションしてんだよ、プロスペクター…!
そのずっと虐げられていたプロスペクターが「マニアの展示品になる」というオモチャ本来の役割から外れることになったとしても、「自分を必要とされたい」という気持ちからウッディを強制的に引き留めようとする気持ちも痛いほど分かる…。必要とされてえよなあ…!!分かるよ…!!しかもその条件がウッディやジェシーが揃ってる事ってのも泣けるよな…!自分だけじゃ需要が無いんだぜ…??だから、必死でウッディを引き留めてるんだ、泣ける。泣けるよプロスペクター…!!
でも、プロスペクターはある意味で可哀想な奴だったからちゃんと救いもあったと思うんだよな。ラスト、顔にいたずら書きしちゃう女の子の元に運ばれて、プロスペクター自身はイヤな顔してるんだけど、彼はようやく「箱」の中から出て子供の元に「おもちゃ」として存在する事が出来たんだ。箱越しの「コレクション」ではなく、「おもちゃ」本来の役割が果たせるんだ。それはきっと、彼にとっては幸福なことなんじゃないかな。
対して「盗み」という正真正銘の悪事を行ったアルは精神崩壊??の末に店のおもちゃを全品1ドルで放出するという「末路」を辿っている。この映画での悪役はこの二人だったと思うけど、ラストの描かれ方がこうも違う。やっぱり、スタッフとしてもプロスペクターには同情の余地アリと判断されたんじゃないかなあ。
ジェシーの描かれ方も良かった。まずは陽気な新キャラとして登場するものの、ウッディが自分の家に帰ろうとすると「暗闇が怖い」と言ったのが良かった。暗闇、怖いよね。そう、この「暗闇が怖い」という単純な理由は、それ故にシンプルだ。彼女に関してはあの時点ではまだ出たての新キャラだ。その彼女の内面から発せられる理由よりも「暗闇が怖い」という普遍的な理由に根拠を置いた方が感情移入がしやすい。
それからしばらくたって、ジェシーの描写時間が増えてから、ジェシーのトラウマを描く。仲の良かった、ずっと遊んでくれると思っていたエミリーとの別れ。めちゃくちゃ泣ける。というか、トイ・ストーリー全体に言える事なんだけど、「忘れていたあのころ大切だったおもちゃ」という誰もが持っている記憶にダイレクトに訴えているのがこの作品の最大のキモなんだ。誰もが強い共感を得られる題材。これを手にした瞬間に、その作品は成功が約束されるといっていい。共感は感情移入を生み、感情移入は感動を呼ぶからだ。
ジェシーとエミリーの話は来るべきウッディとアンディの別れも示唆している。今回もウッディは「アンディの元に戻る」という動機の元に行動をしているけれど、その根本、もしこの先「アンディがウッディを必要としないときが来たらどうなるのか?」という問いかけをしているのだ。(そしてこの問題はおそらく「3」で描かれている)
とはいえ、今回のところはウッディはアンディの元に帰ってきた。修理師の修繕した腕は完璧だったが、ウッディにとってはアンディは修復してくれた太めの腕の方が「喜び」を与えれくれる。将来(アンディの成長)を意識しつつもあえて「今はこれで良い」と言ったウッディ。完璧である。
ピクサーの映画を見ると、シナリオにおいて「共感」がいかに重要かを改めて感じることが出来る。ドキドキハラハラしたシーンも、結局は「そのキャラが助かって欲しい」という感情が無ければ楽しむことはできない。
ただ、全く無駄の無いピクサーのシナリオにおいて、今回は「二体目のバズ」があまり有効に機能しているように思えなかった。二体バズが必要だった意味は何だったんだろう…。あと、スター・ウォーズのパロをやり過ぎてそこまで入れないでも…?という気がしないでもなかった。今(2018年)となっては同じ会社になっちゃったなあ~という笑い話にはなるかもだけど。
「3」があんまりにも待ち遠しくて一気に見てしまおうかと思ったけど、ぐっとこらえて来週にする。約束された最高映画「3」をこんなに一気呵成に見てしまっては勿体ないだろう。
PR
Post your Comment
最新記事
(10/28)
(08/22)
(08/03)
(07/16)
(07/16)
カレンダー
ブログ内検索