2018 |
10,13 |
「なんか面白い映画教えて」と言ったら教えてもらえたので見てみた映画。なるほど、確かに最後の展開にはビックリした。ネタバレを知らずにこのラストに辿り着けて良かったという感じである。
とりあえず、見る前から「なんか伏線とかすごいよ」とは聞かされていたので、とりあえず状況の把握が出来るように頑張って見ていた。ラストにどんでん返しが待っていても、「それに何の意味があるのか」が理解できていないと「どんでん返しをどんでん返しとして認識できない」というとても悲しい事態になってしまう。
それにしても、自分があまり映画を見ないで、アニメや漫画を主に消化してきたためだとは思うんだけど、映画は本当に展開が早い。映画一本見終わっても覚えられたキャラの名前が2、3人というのはザラ。そんな状態なので、それぞれのキャラがどんな目的を持っていて、何がしたいのかを整理しながらストーリーを追うのはかなり難しい。
この作品もせいぜいキートンがお金を得て前科から逃れたいんだろうな…という事くらいしか見てる間は分からなかった。残りの四人に関しては、同じようになんか前科があるんだろうな…程度の把握である。それにしても、重要人物の「キートン」と裏の主人公である「キトン」の名前が似てるのはなんとかならなかったんだろうか…。コバヤシが呼ぶまで「キトン」の名前を把握してなかったせいで「キートン」の名前を日本語なまり(?)で呼んでいるのかと思ってしまった。文字(字幕)で見ていても混乱するのだから音だけで見てる場合にはもっと混乱しそうだった。
中盤から「カイザー・ソゼ」の正体探しが主な目的となっていく。
「ユージュアル・サスペクツ」がちゃんと上手かったのは「キートン = カイザー」という展開(キートンの自作自殺)で終わっていたとしても、キントの扱い(キートンに騙されていて、キントが生かされたのはただ自分の「死」を証言させるためであり、友情などではなかった)という点においてちゃんと「オチ」があるところだと思う。
その「一度終わった」話をラストで猛烈に掘り返し、そうではなく、そもそも「キント = カイザー」だった場合、客観的に見るとあれだけの大事故の中、傷一つ受けずに無事に生き残ってるキントだけが明らかに「得」をしているのが分かる、という点である。被害者の様な顔をしておきながら、最終的に勝っていたのはキントなのだ。
映像の叙述トリックとでも言うべき画作りも上手い。
キートンが「他の誰か」に撃たれたシーンは冒頭に流れるのだけど、キントの証言を再現したバージョンでは「キートンが撃った」事になっている。もちろん、冒頭で流れたシーンで撃たれているのがキートンなのは明白なのだけど、それはそれとして、「映画的な」作りとして真実ではこうでした、とキントの証言で生まれた「キートンが撃った」映像が実際に流される。
しかし、「キント = カイザー」となった場合、本当の本当はやっぱりあの冒頭のキートンが「他の誰か」に撃たれたシーンこそが真実という事になると同時に、この映画の大部分を占めるキントの証言による「事件の全貌」がただの虚偽であったという可能性も示唆するのである。
この作品における「どんでん返し」とは、単に「キント = カイザー」というだけではなく、「この話自体がキントの作り話かもしれない」という点なのだ。
見た後でwiki見て分かったけど、クイヤンが真実に気が付いたのはキントの証言に出てくる単語が壁に貼ってある別の事件の資料やカップに記載されていたものを流用しただけ = すべてデタラメという流れらしい。う、うーん、あのシーンの意図は…おれには分からなかった…すまない…。分かった後に聞けば「なるほどね」という感じではあるのだけど…。
これが漫画とかなら「なんてこった!ヤツの証言に出てくる単語はすべて…部屋の中の…!全部デタラメだったんだ…!!」とか言ってくれるはずなんだよな。ただ、それをいう事が「正解」なのかというと、そこまで言ったらヤボかな~という判断もあると思うので、一概に正解とは言えない…とは思う。
ただ、この場面はこの作品を理解するためのキモ中のキモなので、もうちょっとこう…優しさがあってもよかったな…とは思う。
とりあえず、見る前から「なんか伏線とかすごいよ」とは聞かされていたので、とりあえず状況の把握が出来るように頑張って見ていた。ラストにどんでん返しが待っていても、「それに何の意味があるのか」が理解できていないと「どんでん返しをどんでん返しとして認識できない」というとても悲しい事態になってしまう。
それにしても、自分があまり映画を見ないで、アニメや漫画を主に消化してきたためだとは思うんだけど、映画は本当に展開が早い。映画一本見終わっても覚えられたキャラの名前が2、3人というのはザラ。そんな状態なので、それぞれのキャラがどんな目的を持っていて、何がしたいのかを整理しながらストーリーを追うのはかなり難しい。
この作品もせいぜいキートンがお金を得て前科から逃れたいんだろうな…という事くらいしか見てる間は分からなかった。残りの四人に関しては、同じようになんか前科があるんだろうな…程度の把握である。それにしても、重要人物の「キートン」と裏の主人公である「キトン」の名前が似てるのはなんとかならなかったんだろうか…。コバヤシが呼ぶまで「キトン」の名前を把握してなかったせいで「キートン」の名前を日本語なまり(?)で呼んでいるのかと思ってしまった。文字(字幕)で見ていても混乱するのだから音だけで見てる場合にはもっと混乱しそうだった。
中盤から「カイザー・ソゼ」の正体探しが主な目的となっていく。
「ユージュアル・サスペクツ」がちゃんと上手かったのは「キートン = カイザー」という展開(キートンの自作自殺)で終わっていたとしても、キントの扱い(キートンに騙されていて、キントが生かされたのはただ自分の「死」を証言させるためであり、友情などではなかった)という点においてちゃんと「オチ」があるところだと思う。
その「一度終わった」話をラストで猛烈に掘り返し、そうではなく、そもそも「キント = カイザー」だった場合、客観的に見るとあれだけの大事故の中、傷一つ受けずに無事に生き残ってるキントだけが明らかに「得」をしているのが分かる、という点である。被害者の様な顔をしておきながら、最終的に勝っていたのはキントなのだ。
映像の叙述トリックとでも言うべき画作りも上手い。
キートンが「他の誰か」に撃たれたシーンは冒頭に流れるのだけど、キントの証言を再現したバージョンでは「キートンが撃った」事になっている。もちろん、冒頭で流れたシーンで撃たれているのがキートンなのは明白なのだけど、それはそれとして、「映画的な」作りとして真実ではこうでした、とキントの証言で生まれた「キートンが撃った」映像が実際に流される。
しかし、「キント = カイザー」となった場合、本当の本当はやっぱりあの冒頭のキートンが「他の誰か」に撃たれたシーンこそが真実という事になると同時に、この映画の大部分を占めるキントの証言による「事件の全貌」がただの虚偽であったという可能性も示唆するのである。
この作品における「どんでん返し」とは、単に「キント = カイザー」というだけではなく、「この話自体がキントの作り話かもしれない」という点なのだ。
見た後でwiki見て分かったけど、クイヤンが真実に気が付いたのはキントの証言に出てくる単語が壁に貼ってある別の事件の資料やカップに記載されていたものを流用しただけ = すべてデタラメという流れらしい。う、うーん、あのシーンの意図は…おれには分からなかった…すまない…。分かった後に聞けば「なるほどね」という感じではあるのだけど…。
これが漫画とかなら「なんてこった!ヤツの証言に出てくる単語はすべて…部屋の中の…!全部デタラメだったんだ…!!」とか言ってくれるはずなんだよな。ただ、それをいう事が「正解」なのかというと、そこまで言ったらヤボかな~という判断もあると思うので、一概に正解とは言えない…とは思う。
ただ、この場面はこの作品を理解するためのキモ中のキモなので、もうちょっとこう…優しさがあってもよかったな…とは思う。
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