2018 |
04,21 |
同じ感想200万回くらい言われてると思うけど、魔法少女ケイジ☆マギカだった。
見る前から話題になっていたので、いわゆるループものであるという知識だけは知っていたうえでの視聴。そのため、その設定での「驚き」が少なかったのも原因なのか若干物足りなさを感じたかな。というのも、日本人オタクたち、ループものに慣れすぎてるんだよな。これがアメリカとかだと新鮮に受け入れられた…のかもしれないけど、バタフライ・エフェクトとか普通にあるからなあ。
とはいえ、面白い設定もいくつかある。一番の目玉は何といっても「ループ能力はそもそも敵の能力で、この能力のお陰で敵は人類の戦略を全て知った上(体験した上で)で戦いを行う事が出来る。だから無敵なのだ」という点だろう。「主人公がどうやってループ能力を獲得したのか?」「そもそもループはなぜ起きるのか?」など、ループもので問題になる部分を一気に解決した上で敵の「脅威」も描ける。この一点だけでも見る価値のあるレベルだった。
ありふれた設定(時間ループ)でも、それを「敵が利用している」という別観点を加えることで新鮮な素材として扱う事が出来る。横井軍平の「枯れた技術の水平思考」そのものである。創作にもこの考え方は応用できるのだ。
戦闘用のパワードスーツも良い設定だ。なにせ、ループによって発生する「主観としての無限時間の中でトレーニングをして強くなる」というこの設定を生かすためには「肉体」を鍛えてはダメなのだ。ループの中でいくら肉体を鍛えても意味がない。(ループすることでリセットされてしまう)あくまでも得られるのは知識であり、情報だからだ。それを生かすためには「操作方法を覚えることで強くなる」このパワードスーツが必須なのだ。
最初から答えを提示されていれば「そりゃそうだろう」という感じなのだけど、「ループによって鍛えて強くなる」という設定を具体的にどう落とし込むかを実際に1から考えた場合、このパワードスーツという回答はものすごいクリティカルヒットだったと思う。(ただ、ロックの解除方法とかはともかく「反射」は肉体と密接に関わっているのでループで持ちこせるかな…?と思わなくはないけど、個人的には目をつぶってもいいと思う)
光る設定はあるものの、最初に書いたようにやっぱりループものとしては「プレーンすぎる」という印象がある。「ループを何回しても必ず詰まってしまう」という場面はいくつか出てくるものの、それに対する回答が「なんか今回は上手く行った」という展開が多かった気がする。もちろん「前回はここで弾丸が来たので避けよう」レベルのものはあるのだけど、それはループものでの基本であって、「前回ではこうしたけど、今回はこうやったから上手く行ったのか!」という「驚き」があまりなかった。
将軍が兵器を渡してくれるシーン(最終的には罠だったけど)も、「なぜ将軍が罠を仕掛けるとはいえ渡してくれる気になったのか?」という部分が描かれていない。「二人のうちどちらかが犠牲になる」というシーンもいったん犠牲にしたものの、進めてみたらやっぱり絶対に人手が二人必要な展開になってなんとか助ける展開を考える…とかいろいろやりようはあったと思う。
終盤でループ能力を失うのはいいのだけど、失った後と前で(もう感覚がマヒしてるもかもしれないけど)、死に対する恐怖心があまり変わっていないようにみえるのも勿体ない。それまでは「いざとなればループすればいいや」と視聴者も思ってる訳だから、そこでその能力を失ったことに対する動揺や負荷を描けばもっと感情移入を得られるのになあと思う。
あと、やっぱりラストかな。最後に敵の血を浴びたことで再びループ能力を手に入れてリタもJ分隊も無事な時間に戻りました、オメガはなんか自滅してました…というのがあまりにもハッピーエンドすぎてどうも釈然としないんだよな。
いや、多分オメガは時間を操る能力があったせいで「未来で破壊された影響」が全時間軸に影響して、この時間軸では自滅からスタートしている…んだと思うので、理屈はギリギリ通ってるとは思うんだけど、ここはな~個人で分かれる所かな。
じゃあ、自分はどういう結末が見たかったんだ?という事になると、個人的には「輸血でループ能力を失った」という点をブラフ(輸血量が少なくてあの時点では実は能力を失っていなかった)という事にして、クライマックスではループしないと知りえないような情報を元にオメガを倒す…とかしてくれたら嬉しかったかな。そういうもうひと捻りが欲しい映画だった。
見る前から話題になっていたので、いわゆるループものであるという知識だけは知っていたうえでの視聴。そのため、その設定での「驚き」が少なかったのも原因なのか若干物足りなさを感じたかな。というのも、日本人オタクたち、ループものに慣れすぎてるんだよな。これがアメリカとかだと新鮮に受け入れられた…のかもしれないけど、バタフライ・エフェクトとか普通にあるからなあ。
とはいえ、面白い設定もいくつかある。一番の目玉は何といっても「ループ能力はそもそも敵の能力で、この能力のお陰で敵は人類の戦略を全て知った上(体験した上で)で戦いを行う事が出来る。だから無敵なのだ」という点だろう。「主人公がどうやってループ能力を獲得したのか?」「そもそもループはなぜ起きるのか?」など、ループもので問題になる部分を一気に解決した上で敵の「脅威」も描ける。この一点だけでも見る価値のあるレベルだった。
ありふれた設定(時間ループ)でも、それを「敵が利用している」という別観点を加えることで新鮮な素材として扱う事が出来る。横井軍平の「枯れた技術の水平思考」そのものである。創作にもこの考え方は応用できるのだ。
戦闘用のパワードスーツも良い設定だ。なにせ、ループによって発生する「主観としての無限時間の中でトレーニングをして強くなる」というこの設定を生かすためには「肉体」を鍛えてはダメなのだ。ループの中でいくら肉体を鍛えても意味がない。(ループすることでリセットされてしまう)あくまでも得られるのは知識であり、情報だからだ。それを生かすためには「操作方法を覚えることで強くなる」このパワードスーツが必須なのだ。
最初から答えを提示されていれば「そりゃそうだろう」という感じなのだけど、「ループによって鍛えて強くなる」という設定を具体的にどう落とし込むかを実際に1から考えた場合、このパワードスーツという回答はものすごいクリティカルヒットだったと思う。(ただ、ロックの解除方法とかはともかく「反射」は肉体と密接に関わっているのでループで持ちこせるかな…?と思わなくはないけど、個人的には目をつぶってもいいと思う)
光る設定はあるものの、最初に書いたようにやっぱりループものとしては「プレーンすぎる」という印象がある。「ループを何回しても必ず詰まってしまう」という場面はいくつか出てくるものの、それに対する回答が「なんか今回は上手く行った」という展開が多かった気がする。もちろん「前回はここで弾丸が来たので避けよう」レベルのものはあるのだけど、それはループものでの基本であって、「前回ではこうしたけど、今回はこうやったから上手く行ったのか!」という「驚き」があまりなかった。
将軍が兵器を渡してくれるシーン(最終的には罠だったけど)も、「なぜ将軍が罠を仕掛けるとはいえ渡してくれる気になったのか?」という部分が描かれていない。「二人のうちどちらかが犠牲になる」というシーンもいったん犠牲にしたものの、進めてみたらやっぱり絶対に人手が二人必要な展開になってなんとか助ける展開を考える…とかいろいろやりようはあったと思う。
終盤でループ能力を失うのはいいのだけど、失った後と前で(もう感覚がマヒしてるもかもしれないけど)、死に対する恐怖心があまり変わっていないようにみえるのも勿体ない。それまでは「いざとなればループすればいいや」と視聴者も思ってる訳だから、そこでその能力を失ったことに対する動揺や負荷を描けばもっと感情移入を得られるのになあと思う。
あと、やっぱりラストかな。最後に敵の血を浴びたことで再びループ能力を手に入れてリタもJ分隊も無事な時間に戻りました、オメガはなんか自滅してました…というのがあまりにもハッピーエンドすぎてどうも釈然としないんだよな。
いや、多分オメガは時間を操る能力があったせいで「未来で破壊された影響」が全時間軸に影響して、この時間軸では自滅からスタートしている…んだと思うので、理屈はギリギリ通ってるとは思うんだけど、ここはな~個人で分かれる所かな。
じゃあ、自分はどういう結末が見たかったんだ?という事になると、個人的には「輸血でループ能力を失った」という点をブラフ(輸血量が少なくてあの時点では実は能力を失っていなかった)という事にして、クライマックスではループしないと知りえないような情報を元にオメガを倒す…とかしてくれたら嬉しかったかな。そういうもうひと捻りが欲しい映画だった。
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2018 |
04,15 |
総評
構図的には劇中にもアレックスが言ってたように「強盗VS殺人・誘拐犯」なので、登場人物全員悪人アウトレイジ感はある。とはいえ、「殺人」に関しては強盗に対する正当防衛なので罪にならないような気がするけど。
目的がシンプルでいい。恐怖じいさん(忍び込む前はそんな事は思いもしなかったけど)の住む家から現金を奪って逃げる。これだけ。ちょっとだけ臭わされる三角関係もマネーの早々の退場で完全にじいさんとの戦いに専念できる。
じいさんの「盲目」設定が新鮮。これのお陰で今までのホラー映画だったらアウトになるような場面でも息をひそめてやり過ごせば、「なんとかなる」場面が多い。ドント・ブリーズ(息をするな)という題名からして、ここが映画のキモになっているのは、製作者側も意図していた所だと思う。この設定のおかげ(?)で、じいさんは普通のホラーの犯人とはちょっと動きが違う。なんというか、ゲームのCPUに近い動きなんだよな。一回捕捉されてもしばらくすると警戒が解けるところとか。この辺りは「視認」とその他の感覚で捕らえた場合の差なのだろうか。物音はなんだかんだで別の要因も考えられるけど、目撃は他の要因考えられないからなあ。
最初のマネーが寝室でじいさんと対面した時も、一瞬じいさんが寝ぼけてマネーをやり過ごしたのかと思ってしまったけど、あれは「盲目」設定を強く印象付ける場面だったのだ。寝室で寝るまで見ていたのが娘の昔のホームビデオというのが物悲しい。
腕力と地の利(自分の家)に優れるが、目が見えないというハンデを負っているじいさんと何が何でもお金を持って帰りたいロッキー、そしてロッキーに惚れてるアレックス。三者三様の制約のお陰で狭い一戸建て(まあ、アメリカナイズだから日本の家とは違うけど)内でちゃんと物語が展開することに違和感はあまりない。特に「自分たちも強盗をやっているせいで警察が呼べない」というのが上手い。事前調査での「人通りもない、向こう四件空き家」という強盗実行において絶好の条件も「他人は誰も助けてくれない」という状況となって自分たちにハネ返ってくる。湖畔の一軒家や嵐の無人島でなくてもクローズド・サークルは可能なのだ。
正直最初は、じいさんの苛烈な反撃もまあ、強盗してるの主人公側だし、それに盲目のじいさんにとってはお金は虎の子だししょうがないかなという部分もあったんだけど、やっぱり転機は地下室に監禁されていたシンディが発見された時。異様なほどに厳重な家の警備は最初から「この家から人を逃がさない」ために行われていたのだ。
そこからは攻守逆転しまくる展開。「あ、ここで終わりかあ…」という場面が何度か訪れても、その度にじいさんが復活してくる。最後、家から脱出してもまだ恐怖が続いたのはさすがに驚いた。
最後、ロッキーが妹と新天地に向かうのだけど、じいさんが生きていたニュースも流れてもはやロッキーにとってはこの世界全てがあの一軒家のように逃げるところのない場所になってしまったのだ、というラストもいい。
元々、血痕とか残りまくりだし警察には追われることになっていたロッキーだけど、そこにじいさんも加わってしまった。じいさんももちろん狂人だったんだけど、それはそれとして狂人からなら金を取ってもいいという理屈にはならない、という事なのだろう。
「盲目」じいさんによる新感覚ホラーを味わえた、という点や登場人物それぞれの設定を上手くかみ合わせて街中でクローズド・サークルを作った点など、かなり丁寧に作り込まれているなという感じの映画だった。
トピックス(とりとめのない感想)
・「盲目」とはいえ、匂いや物音で完全にそんなハンデをものともしないかと思いきや、かなりの「制約」を負ってる感があった。もちろん、それが「制約」となってくれている所がこの映画の見どころなのでそれはいいんだけど、臭いを頻繁に嗅いでいる描写はあるけど、それが実際に功を奏した場面はあまりなく(割と近くでクンクンやってもアレックスたちに気が付かない)、物音を立ててもわりとスルーしている場面も多かった。ロッキーが金庫の暗証番号打ってる電子音とかモロに聞こえてた上にあの場所でしかならないだろう…という感じ。
・アレックスの不死身ぶりがすごい。正直、じいさんよりも肉体的には強靭だったんじゃないかという感じである。まあ、ぶっちゃけメイン人物がロッキーとアレックスしかいないせいで、「ショッキング場面」を演じられるのがアレックスしかいなかったんだよな。暗闇でじいさんに捕まってそのまま闇に消えたり(ここなんで助かったのか良く分からなかった。銃の弾は切れてたけど、完全に捕まったじいさんの腕力から逃げる術はあったのか…??)窓から放り投げられて下に落下するわ、その後に銃でとどめを刺されたはずなのに生きてるわ、じいさんと乱闘の末にハサミでぶった切られる(切られたのはたぶんマネーなので叙述トリックみたいな感じだけど)わで、何度死んだんだお前…。
主体的に盗む気マンマンだったロッキーよりも実は巻き込まれ感がすごい彼だったので生き残りあるかもと思ったけどダメでしたね。まあー、でも彼は生き残っても父親も会社クビになっちゃっただろうし、生きてても良い事なかったかもね…。
・マニーはほんとにどうしようもないヤツなんだけど、最初の犯罪で強盗に入った家で楽しそうに立ち小便してたのがちょっと良かった。なんだろうね、あの描写…。証拠を自分から残すバカです、と言いたかったのか。まあ、ファッション狂人を演じていた彼がじいさんというホンモノの狂人の前では命乞いをするだけの男でしたというかませ的な意味もあったのかもしれない。最後に「忍び込んだのは俺一人」って言って他の二人を逃がしたときはわりとグッと来た。これと対比してアレックス辺りが捕まった時にロッキーを売るかなと思ったけど、そこまでアレックスも腰抜けではなかったようだ。
・冒頭で引きずられていた女性はなんだったんだろう…という気はしてたんだけど、あれはシンディと見せかけてやっぱりロッキーだったのかな。見直せば分かると思うけど、記憶はわりと曖昧なので「女性が引きずられていた」ということしか思い出せない。あの場面は上手かった。
・じいさんの復讐方法はかなりえげつない。それ故にホラー的に言えば良い復讐方法だった。事故の相手を捕まえて監禁させてもう一度娘を作る…。この方法で本当に恐ろしいのはある一定の「理」が通ってるところなんだよな。何の理屈もなくムチャクチャで理不尽な復讐を見せられるよりも、「あー、なるほど…」と一瞬思ってしまう手法。
シンディが死んだときにじいさんが悲しんでいて、なんで悲しんでるか最初は分からなかった(せっかく捕まえたので、もっと拷問とかして苦しめて殺してやりたかったとかかな…とか思ってた)んだけど、それを遥かに超えた計画がじいさんの中にあったのだ。しかも、その計画を聞けば「だから悲しかったのか」と納得も出来てしまう。
もちろん、思いついても普通はしないんだけど、「人の心(理屈)を残しつつも、それでもタガの外れてしまった狂人」というのが一番恐怖を感じる。
「レイプはしないよ」と言いつつ、直接精液をスポイト(?)に入れて種付けをしようとする場面とか「レイプ…とは??」という哲学を感じられる問答で非常に良かった。(良かったの?)
構図的には劇中にもアレックスが言ってたように「強盗VS殺人・誘拐犯」なので、登場人物全員悪人アウトレイジ感はある。とはいえ、「殺人」に関しては強盗に対する正当防衛なので罪にならないような気がするけど。
目的がシンプルでいい。恐怖じいさん(忍び込む前はそんな事は思いもしなかったけど)の住む家から現金を奪って逃げる。これだけ。ちょっとだけ臭わされる三角関係もマネーの早々の退場で完全にじいさんとの戦いに専念できる。
じいさんの「盲目」設定が新鮮。これのお陰で今までのホラー映画だったらアウトになるような場面でも息をひそめてやり過ごせば、「なんとかなる」場面が多い。ドント・ブリーズ(息をするな)という題名からして、ここが映画のキモになっているのは、製作者側も意図していた所だと思う。この設定のおかげ(?)で、じいさんは普通のホラーの犯人とはちょっと動きが違う。なんというか、ゲームのCPUに近い動きなんだよな。一回捕捉されてもしばらくすると警戒が解けるところとか。この辺りは「視認」とその他の感覚で捕らえた場合の差なのだろうか。物音はなんだかんだで別の要因も考えられるけど、目撃は他の要因考えられないからなあ。
最初のマネーが寝室でじいさんと対面した時も、一瞬じいさんが寝ぼけてマネーをやり過ごしたのかと思ってしまったけど、あれは「盲目」設定を強く印象付ける場面だったのだ。寝室で寝るまで見ていたのが娘の昔のホームビデオというのが物悲しい。
腕力と地の利(自分の家)に優れるが、目が見えないというハンデを負っているじいさんと何が何でもお金を持って帰りたいロッキー、そしてロッキーに惚れてるアレックス。三者三様の制約のお陰で狭い一戸建て(まあ、アメリカナイズだから日本の家とは違うけど)内でちゃんと物語が展開することに違和感はあまりない。特に「自分たちも強盗をやっているせいで警察が呼べない」というのが上手い。事前調査での「人通りもない、向こう四件空き家」という強盗実行において絶好の条件も「他人は誰も助けてくれない」という状況となって自分たちにハネ返ってくる。湖畔の一軒家や嵐の無人島でなくてもクローズド・サークルは可能なのだ。
正直最初は、じいさんの苛烈な反撃もまあ、強盗してるの主人公側だし、それに盲目のじいさんにとってはお金は虎の子だししょうがないかなという部分もあったんだけど、やっぱり転機は地下室に監禁されていたシンディが発見された時。異様なほどに厳重な家の警備は最初から「この家から人を逃がさない」ために行われていたのだ。
そこからは攻守逆転しまくる展開。「あ、ここで終わりかあ…」という場面が何度か訪れても、その度にじいさんが復活してくる。最後、家から脱出してもまだ恐怖が続いたのはさすがに驚いた。
最後、ロッキーが妹と新天地に向かうのだけど、じいさんが生きていたニュースも流れてもはやロッキーにとってはこの世界全てがあの一軒家のように逃げるところのない場所になってしまったのだ、というラストもいい。
元々、血痕とか残りまくりだし警察には追われることになっていたロッキーだけど、そこにじいさんも加わってしまった。じいさんももちろん狂人だったんだけど、それはそれとして狂人からなら金を取ってもいいという理屈にはならない、という事なのだろう。
「盲目」じいさんによる新感覚ホラーを味わえた、という点や登場人物それぞれの設定を上手くかみ合わせて街中でクローズド・サークルを作った点など、かなり丁寧に作り込まれているなという感じの映画だった。
トピックス(とりとめのない感想)
・「盲目」とはいえ、匂いや物音で完全にそんなハンデをものともしないかと思いきや、かなりの「制約」を負ってる感があった。もちろん、それが「制約」となってくれている所がこの映画の見どころなのでそれはいいんだけど、臭いを頻繁に嗅いでいる描写はあるけど、それが実際に功を奏した場面はあまりなく(割と近くでクンクンやってもアレックスたちに気が付かない)、物音を立ててもわりとスルーしている場面も多かった。ロッキーが金庫の暗証番号打ってる電子音とかモロに聞こえてた上にあの場所でしかならないだろう…という感じ。
・アレックスの不死身ぶりがすごい。正直、じいさんよりも肉体的には強靭だったんじゃないかという感じである。まあ、ぶっちゃけメイン人物がロッキーとアレックスしかいないせいで、「ショッキング場面」を演じられるのがアレックスしかいなかったんだよな。暗闇でじいさんに捕まってそのまま闇に消えたり(ここなんで助かったのか良く分からなかった。銃の弾は切れてたけど、完全に捕まったじいさんの腕力から逃げる術はあったのか…??)窓から放り投げられて下に落下するわ、その後に銃でとどめを刺されたはずなのに生きてるわ、じいさんと乱闘の末にハサミでぶった切られる(切られたのはたぶんマネーなので叙述トリックみたいな感じだけど)わで、何度死んだんだお前…。
主体的に盗む気マンマンだったロッキーよりも実は巻き込まれ感がすごい彼だったので生き残りあるかもと思ったけどダメでしたね。まあー、でも彼は生き残っても父親も会社クビになっちゃっただろうし、生きてても良い事なかったかもね…。
・マニーはほんとにどうしようもないヤツなんだけど、最初の犯罪で強盗に入った家で楽しそうに立ち小便してたのがちょっと良かった。なんだろうね、あの描写…。証拠を自分から残すバカです、と言いたかったのか。まあ、ファッション狂人を演じていた彼がじいさんというホンモノの狂人の前では命乞いをするだけの男でしたというかませ的な意味もあったのかもしれない。最後に「忍び込んだのは俺一人」って言って他の二人を逃がしたときはわりとグッと来た。これと対比してアレックス辺りが捕まった時にロッキーを売るかなと思ったけど、そこまでアレックスも腰抜けではなかったようだ。
・冒頭で引きずられていた女性はなんだったんだろう…という気はしてたんだけど、あれはシンディと見せかけてやっぱりロッキーだったのかな。見直せば分かると思うけど、記憶はわりと曖昧なので「女性が引きずられていた」ということしか思い出せない。あの場面は上手かった。
・じいさんの復讐方法はかなりえげつない。それ故にホラー的に言えば良い復讐方法だった。事故の相手を捕まえて監禁させてもう一度娘を作る…。この方法で本当に恐ろしいのはある一定の「理」が通ってるところなんだよな。何の理屈もなくムチャクチャで理不尽な復讐を見せられるよりも、「あー、なるほど…」と一瞬思ってしまう手法。
シンディが死んだときにじいさんが悲しんでいて、なんで悲しんでるか最初は分からなかった(せっかく捕まえたので、もっと拷問とかして苦しめて殺してやりたかったとかかな…とか思ってた)んだけど、それを遥かに超えた計画がじいさんの中にあったのだ。しかも、その計画を聞けば「だから悲しかったのか」と納得も出来てしまう。
もちろん、思いついても普通はしないんだけど、「人の心(理屈)を残しつつも、それでもタガの外れてしまった狂人」というのが一番恐怖を感じる。
「レイプはしないよ」と言いつつ、直接精液をスポイト(?)に入れて種付けをしようとする場面とか「レイプ…とは??」という哲学を感じられる問答で非常に良かった。(良かったの?)
2018 |
04,08 |
「2」があることは「1」を見る前から知っていたのだけど、「1」があまりにも綺麗に過不足なく終わったように思っていたので、正直「2」は何をやるんだろう…と思ってた。しかし、「2」を見終わってみるとなるほど、そうなるかという感じだった。積み残し案件の消化、そして新しい「課題」の提示である。
積み残し案件は二つ。ヒックのバイキング頭領跡継ぎ問題。そして母親の問題。
前作の経験から、ドラゴンへの偏見と一緒に頑固な一面もかなり改善されたストイックは、攻守ともにほぼ完全な頭領となっており、村は父親に任せて自分は気ままな冒険に出かけてしまおうヒックのという気持ちも分かる。自分は頭領には向いてない、ストイックに任せることで村は完全に回っているのだからそれでいいじゃないかという事だ。
たしかにヒックの考えは間違ってはいない。しかしそれは現状維持が前提であって、ストイックを「失う」事を考慮していなかった。
ストイックの存在はバーグ島にとってあまりにも大きな柱であったのでそれゆえに「1」の時点で退場するものと思っていた。ストイックが居ると緊張感が欲しい場面であっても「ストイックがいるなら大丈夫だろう…」という安心感が生まれてしまうからだ。
もう一つの積み残しである「母親」との和解を経て、ストイックの役割は完全に終わったという事なのだと思う。間接的とはいえ、トゥースにその引き金を引かせるというのはあまりにも衝撃的な場面だった。
20年間息子をほっぽってドラゴンと一緒に暮らしていた母親の設定はかなり斬新だ。なんというか、これはどちらかというと父親がやりそうな役割なのだけれど、設定のめぐり合わせでこういう形になったのだと思う。雲の中から仮面をかぶったキャラが仁王立ちで出てきて中身が母親だったのだからヒックの混乱ぐあいも頷ける。
母親とはドラゴンの話題を通じて意気投合していたが、この20年間の空白はやはりそこまで簡単に埋まるものとは思えないので、「3」ではもう少し掘り下げがあると思う。
そして、「新しい課題」だ。
話の筋が一本道で明確だった前作とは違い、今作はかなりストーリー展開が激しい。ドラゴン狩りを行う連中の存在、そのドラゴン狩りからさらにドラゴンを盗む第三勢力の存在。そしてヒックたち。この三勢力が形を変えながら複雑に絡み合う。
前作はドラゴンの事を一方的に敵対視していたヒックを含むバイキングたちが、相手(ドラゴン)にも心があり、知性があり、そして村を襲わざるを得ない理由があることを知り、敵対を止めて共存の道を進む話だった。
前回のドラゴンとの一件を経てヒックは種族の違うドラゴンとすら和解出来たのだから同じ人間である今作のラスボス、ドラゴとも話し合いによる解決が図れると一定の自信を持っていた。
しかし、お互いを知ることによって必ず相互理解が出来ると信じていたヒックにとって今作は「敗北」の物語だったと思う。敵であるドラゴを見事追い払い、ヒックは頭領の座に就き、トゥースもまたドラゴンのリーダーとなった。結果だけを見ると一見、「勝利」と言ってもいい状態に見えるかもしれないが「ドラゴとの相互理解」という意味では完全に失敗だったといえよう。
黒い巨大なドラゴンと共に海に消えたドラゴが再び力をためてバーク島に襲い掛かってくることは必須だ。「1」とは違い、続編の「3」が前提である構成なのだろう。
ストイックも母親も立場は違えど「自分と考えの違う人間はいる」という忠告をヒックに行っている。今回の段階ではまさにその忠告が的中した。
「どんな人間・種族とでも相互理解出来るはず」という「1」で得た「理想」を今回砕かれたヒック。それでも他人との付き合いは行っていかなければならない。自分と考えが違う人間が現れた時「相互理解」とは違う別の回答を出さなければならない。
ドラゴとの「相互理解」は難しいだろう。それが叶うのならば「3」へつなげる必要はない。新しい他人との繋がりの形が必要だ。それが何であるのかが「新しい課題」。次回作でその答えを見せてくれることを期待している。
※ おまけ 文中に入れられなかった感想。
ちびドラゴンは「リーダーの命令を聞かない」という設定が、全ドラゴンが新リーダーに連れ去られ、ヒックたちがバーグ島に帰る手段が無くなった時のアンサーとして機能していたのはよかった。子供ドラゴンの話をすることで母親がヒックの子供時代を思い出しているのだろうな、というのと単純に微笑ましい話題だったので、伏線として完全に隠れていた。
何度も失敗していたヒックの単独飛行とトゥースとの連携行動が、母親からのアドバイスによる背びれの動きで解決し、最後の決め手になるのもよかった。王道と言えば王道なんだけど、劇中でなんども失敗していたことが最後の最後で成功するのはやはり気持ちいい。
積み残し案件は二つ。ヒックのバイキング頭領跡継ぎ問題。そして母親の問題。
前作の経験から、ドラゴンへの偏見と一緒に頑固な一面もかなり改善されたストイックは、攻守ともにほぼ完全な頭領となっており、村は父親に任せて自分は気ままな冒険に出かけてしまおうヒックのという気持ちも分かる。自分は頭領には向いてない、ストイックに任せることで村は完全に回っているのだからそれでいいじゃないかという事だ。
たしかにヒックの考えは間違ってはいない。しかしそれは現状維持が前提であって、ストイックを「失う」事を考慮していなかった。
ストイックの存在はバーグ島にとってあまりにも大きな柱であったのでそれゆえに「1」の時点で退場するものと思っていた。ストイックが居ると緊張感が欲しい場面であっても「ストイックがいるなら大丈夫だろう…」という安心感が生まれてしまうからだ。
もう一つの積み残しである「母親」との和解を経て、ストイックの役割は完全に終わったという事なのだと思う。間接的とはいえ、トゥースにその引き金を引かせるというのはあまりにも衝撃的な場面だった。
20年間息子をほっぽってドラゴンと一緒に暮らしていた母親の設定はかなり斬新だ。なんというか、これはどちらかというと父親がやりそうな役割なのだけれど、設定のめぐり合わせでこういう形になったのだと思う。雲の中から仮面をかぶったキャラが仁王立ちで出てきて中身が母親だったのだからヒックの混乱ぐあいも頷ける。
母親とはドラゴンの話題を通じて意気投合していたが、この20年間の空白はやはりそこまで簡単に埋まるものとは思えないので、「3」ではもう少し掘り下げがあると思う。
そして、「新しい課題」だ。
話の筋が一本道で明確だった前作とは違い、今作はかなりストーリー展開が激しい。ドラゴン狩りを行う連中の存在、そのドラゴン狩りからさらにドラゴンを盗む第三勢力の存在。そしてヒックたち。この三勢力が形を変えながら複雑に絡み合う。
前作はドラゴンの事を一方的に敵対視していたヒックを含むバイキングたちが、相手(ドラゴン)にも心があり、知性があり、そして村を襲わざるを得ない理由があることを知り、敵対を止めて共存の道を進む話だった。
前回のドラゴンとの一件を経てヒックは種族の違うドラゴンとすら和解出来たのだから同じ人間である今作のラスボス、ドラゴとも話し合いによる解決が図れると一定の自信を持っていた。
しかし、お互いを知ることによって必ず相互理解が出来ると信じていたヒックにとって今作は「敗北」の物語だったと思う。敵であるドラゴを見事追い払い、ヒックは頭領の座に就き、トゥースもまたドラゴンのリーダーとなった。結果だけを見ると一見、「勝利」と言ってもいい状態に見えるかもしれないが「ドラゴとの相互理解」という意味では完全に失敗だったといえよう。
黒い巨大なドラゴンと共に海に消えたドラゴが再び力をためてバーク島に襲い掛かってくることは必須だ。「1」とは違い、続編の「3」が前提である構成なのだろう。
ストイックも母親も立場は違えど「自分と考えの違う人間はいる」という忠告をヒックに行っている。今回の段階ではまさにその忠告が的中した。
「どんな人間・種族とでも相互理解出来るはず」という「1」で得た「理想」を今回砕かれたヒック。それでも他人との付き合いは行っていかなければならない。自分と考えが違う人間が現れた時「相互理解」とは違う別の回答を出さなければならない。
ドラゴとの「相互理解」は難しいだろう。それが叶うのならば「3」へつなげる必要はない。新しい他人との繋がりの形が必要だ。それが何であるのかが「新しい課題」。次回作でその答えを見せてくれることを期待している。
※ おまけ 文中に入れられなかった感想。
ちびドラゴンは「リーダーの命令を聞かない」という設定が、全ドラゴンが新リーダーに連れ去られ、ヒックたちがバーグ島に帰る手段が無くなった時のアンサーとして機能していたのはよかった。子供ドラゴンの話をすることで母親がヒックの子供時代を思い出しているのだろうな、というのと単純に微笑ましい話題だったので、伏線として完全に隠れていた。
何度も失敗していたヒックの単独飛行とトゥースとの連携行動が、母親からのアドバイスによる背びれの動きで解決し、最後の決め手になるのもよかった。王道と言えば王道なんだけど、劇中でなんども失敗していたことが最後の最後で成功するのはやはり気持ちいい。
2018 |
04,07 |
冒頭、バイキングVSドラゴンという組み合わせが早くも最高だった。荒々しい屈強な男たちとドラゴンの戦い。化け物には化け物をぶつける理論である。サーチアンドデストロイ、ドラゴン殺すべしな雰囲気の中、主人公のヒックも最初はドラゴンを殺そうとするのだが、捕獲したドラゴン、トゥースとの交流を経て意識が変わっていくのだった。
…なんだか久しぶりに感想を書いてるせいか、いままでどうやって感想を書いてたのかよく思い出せない。こんなあらすじをダラダラ書いてもしょうがないんだけど、なんだろうな…。こう話の筋を一つ一つ確認したくなるんだよな。話運びもテーマもいい。
力こそパワーなバイキングの中でヒックの「器用さ」というのは目立たたなくて見下されがちという構図は良く分かるし、ぶっちゃけ陰キャなヒックが他の人に力(トゥース)を隠している様子、それによって陽キャな友達を見返すという構図は日米関係なく好まれる…というか物語の王道的展開のようだ。
そんな日米の共通点に安心感を覚えたのもつかの間、すっごい個人的感覚に基づく感想なんだけど(感想は全部個人の感想ではあるんだけど)、アスティちゃんがすっごいブサイクなんだよな…。
これは…なんだ…そう…あの、サム・ライミ版スパイダーマンを見た時にも感じたんだけど、多分こういう感じの顔がアメリカではセクシーって認識されてるんだろうな…という思いを強くした映画であった。ピーターもハリーもMJなんかほっとけよ…と思ったものだけど、こうして同系統のお顔がヒロインに採用されつづけているのを見ると日米間の「KAWAII」の違いを感じざるを得ない。
ただまあ、第一印象はともかくドラゴンデートを経てデレてからはやっぱりわりと可愛く見え……見え…たよ、うん。大丈夫だ。
父親のストイックは登場時にヒックに「お前には別の取り柄がある」(たぶん手先の器用さの事をいってると思う)と言っていて、フィジカルが貧弱なヒックを一方的にダメと決めつけるようなことはしていないところも良かったし、屈強なビジュアルは一目でリーダーと分かる力強さを持っていた。
とはいえ、息子が訓練場で活躍してると知ると素直に喜んだところを見るとなんだかんだで息子にバイキングとしての力も持っていてほしかった、という複雑な感情も垣間見える。屈強な肉体とは裏腹になんだか折り合いの悪い息子にどう接していいか分からず、なんかこう…手作りのメットををプレゼントしたりして明後日の方向に気を使う感じも思春期の親子関係を感じられてよかった。
トゥースの事を知ったとたんに「お前もう息子ちゃうわ」と言ったり最後にやっぱり「息子だったわ…」とか言ったりしてこの映画でもっともいう事がコロコロ変わる人物になってたんだけど、これはしょうがないんだよな。場面によってヒックの評価がコロコロ変わっていくので、それをジャッジしてくとこういう表現にならざるを得ない。「お前もう息子ちゃうわ」発言はその前の「ヒックが闘技場で活躍してる」状態の嬉しさの反動もあったんだろうな、と今になって思う。
見どころはやっぱり色んなドラゴンが出てきて楽しいところだよな。ツインヘッドドラゴンの片方の頭からガスが出てもう一方で発火してるとかワクワクな設定もいっぱいだ。劇中に出てきたドラゴン図鑑はもっとじっくり見たい。というか脳筋ばかりなバイキングたちの中でドラゴンの生態を調べて一冊の本にまとめた人物が過去にいた、というのはかなりいい設定だよな。映像特典のゲップのギャグ…も良かったけど、「ドラゴン図鑑が出来るまで」も付けて欲しかった。
ドラゴンとの戦闘用訓練施設も、ものすごい大がかりな施設だ。バイキングなのに「教育が大事」という現代的思考は素晴らしい。感覚で言えば「即実践して生き残ったバイキングだけがいいバイキングだ」とかやりそうなものなんだけど、思った以上に人口が少ないのかもしれない。(人が貴重)
飼育が可能ならヒックが調べたドラゴンの生態ももっと早くしられていたのではないか…?という気がしないでもないけど、「ドラゴンは敵」という先入観がドラゴンとの触れ合いの機会を奪っていたのかもしれない。「ドラゴンはあごの下を撫でられるとすぐに寝て(気絶?)しまう」とか絶対もっとはやく言って欲しかったよな。ただ、日本というかアジアだとあそこは思い切り「逆鱗」なので怒り狂うところだと思うんだけど、そこは文化の違いなのかもしれない。(ただ、特別な部位という認識は共有している)
ドラゴンの巣、そしてボスドラゴンの存在。ヒックが先行してドラゴンの巣に潜入した時のワクワク感、ボスドラゴンを見た時の「やべーの見ちゃった感」はいい。ラストダンジョンに主人公たちだけ先行して入って敗走して帰ってきて、その後大軍勢で攻める…というパターンはいいよな。まあ、大抵その後の軍勢は全滅するんだけど。(ラピュタのゴリアテみたいに)
あ、あと軍勢で攻めた時に火球を巣に放り込んだときに穴一面にびっしりドラゴンが貼りついてた場面はおぞましくて良かった。
これまで無秩序に暴れまわるだけだと思われていたドラゴンにも「ボスへの餌献上」というお仕事があったため、というメカニズムも解明されて「人とドラゴンの共存」への道が開かれてラストバトルに突入するんだけど、エサが魚で良いのなら別に町は襲わなくてよかったのでは…?という気がしないでもない。ボスのゴキゲンを取るためにレアものを取りに来ていたのかもしれないけど。何せ献上品が気に入らないと自分が食われちゃうもんな…。
ボスとのバトルになじみのある訓練施設のドラゴンが出てきたのは熱かった。訓練描写と同時に視聴者にドラゴンへの愛着を持たせていたのだ。ただ、訓練施設のドラゴンは…その…人に何回もボコボコにされていたりして相当…人に恨みがあったんじゃないか…?大丈夫か…?という感じである。
最後、バイキングとドラゴンが共存を果たしてハッピーエンド…に見えるんだけど、あいつら本職が海賊なんだよな…。バイキングたちがドラゴンも操りだしてますます手が付けられなくなったのではないか…?あそこら一帯の海が完全無秩序になったのでないか…?という気がしないでもないけど、まあ、麦わら海賊団的な感じで活躍してくれてたらいいな…と願うばかりである。
一番印象に残ってるのはやっぱりヒックとトゥースの飛行シーン。「空を自由にとびたいな」というのは子供の圧倒的あこがれなのだ。アスティちゃんが一発でデレるほどの破壊力。子供が映画を見終わった後に「おれもドラゴンに乗って空をとびてええ!!」と思って映画館を飛び出してくれればこの映画にとってそれ以上の成功はないだろう。
…なんだか久しぶりに感想を書いてるせいか、いままでどうやって感想を書いてたのかよく思い出せない。こんなあらすじをダラダラ書いてもしょうがないんだけど、なんだろうな…。こう話の筋を一つ一つ確認したくなるんだよな。話運びもテーマもいい。
力こそパワーなバイキングの中でヒックの「器用さ」というのは目立たたなくて見下されがちという構図は良く分かるし、ぶっちゃけ陰キャなヒックが他の人に力(トゥース)を隠している様子、それによって陽キャな友達を見返すという構図は日米関係なく好まれる…というか物語の王道的展開のようだ。
そんな日米の共通点に安心感を覚えたのもつかの間、すっごい個人的感覚に基づく感想なんだけど(感想は全部個人の感想ではあるんだけど)、アスティちゃんがすっごいブサイクなんだよな…。
これは…なんだ…そう…あの、サム・ライミ版スパイダーマンを見た時にも感じたんだけど、多分こういう感じの顔がアメリカではセクシーって認識されてるんだろうな…という思いを強くした映画であった。ピーターもハリーもMJなんかほっとけよ…と思ったものだけど、こうして同系統のお顔がヒロインに採用されつづけているのを見ると日米間の「KAWAII」の違いを感じざるを得ない。
ただまあ、第一印象はともかくドラゴンデートを経てデレてからはやっぱりわりと可愛く見え……見え…たよ、うん。大丈夫だ。
父親のストイックは登場時にヒックに「お前には別の取り柄がある」(たぶん手先の器用さの事をいってると思う)と言っていて、フィジカルが貧弱なヒックを一方的にダメと決めつけるようなことはしていないところも良かったし、屈強なビジュアルは一目でリーダーと分かる力強さを持っていた。
とはいえ、息子が訓練場で活躍してると知ると素直に喜んだところを見るとなんだかんだで息子にバイキングとしての力も持っていてほしかった、という複雑な感情も垣間見える。屈強な肉体とは裏腹になんだか折り合いの悪い息子にどう接していいか分からず、なんかこう…手作りのメットををプレゼントしたりして明後日の方向に気を使う感じも思春期の親子関係を感じられてよかった。
トゥースの事を知ったとたんに「お前もう息子ちゃうわ」と言ったり最後にやっぱり「息子だったわ…」とか言ったりしてこの映画でもっともいう事がコロコロ変わる人物になってたんだけど、これはしょうがないんだよな。場面によってヒックの評価がコロコロ変わっていくので、それをジャッジしてくとこういう表現にならざるを得ない。「お前もう息子ちゃうわ」発言はその前の「ヒックが闘技場で活躍してる」状態の嬉しさの反動もあったんだろうな、と今になって思う。
見どころはやっぱり色んなドラゴンが出てきて楽しいところだよな。ツインヘッドドラゴンの片方の頭からガスが出てもう一方で発火してるとかワクワクな設定もいっぱいだ。劇中に出てきたドラゴン図鑑はもっとじっくり見たい。というか脳筋ばかりなバイキングたちの中でドラゴンの生態を調べて一冊の本にまとめた人物が過去にいた、というのはかなりいい設定だよな。映像特典のゲップのギャグ…も良かったけど、「ドラゴン図鑑が出来るまで」も付けて欲しかった。
ドラゴンとの戦闘用訓練施設も、ものすごい大がかりな施設だ。バイキングなのに「教育が大事」という現代的思考は素晴らしい。感覚で言えば「即実践して生き残ったバイキングだけがいいバイキングだ」とかやりそうなものなんだけど、思った以上に人口が少ないのかもしれない。(人が貴重)
飼育が可能ならヒックが調べたドラゴンの生態ももっと早くしられていたのではないか…?という気がしないでもないけど、「ドラゴンは敵」という先入観がドラゴンとの触れ合いの機会を奪っていたのかもしれない。「ドラゴンはあごの下を撫でられるとすぐに寝て(気絶?)しまう」とか絶対もっとはやく言って欲しかったよな。ただ、日本というかアジアだとあそこは思い切り「逆鱗」なので怒り狂うところだと思うんだけど、そこは文化の違いなのかもしれない。(ただ、特別な部位という認識は共有している)
ドラゴンの巣、そしてボスドラゴンの存在。ヒックが先行してドラゴンの巣に潜入した時のワクワク感、ボスドラゴンを見た時の「やべーの見ちゃった感」はいい。ラストダンジョンに主人公たちだけ先行して入って敗走して帰ってきて、その後大軍勢で攻める…というパターンはいいよな。まあ、大抵その後の軍勢は全滅するんだけど。(ラピュタのゴリアテみたいに)
あ、あと軍勢で攻めた時に火球を巣に放り込んだときに穴一面にびっしりドラゴンが貼りついてた場面はおぞましくて良かった。
これまで無秩序に暴れまわるだけだと思われていたドラゴンにも「ボスへの餌献上」というお仕事があったため、というメカニズムも解明されて「人とドラゴンの共存」への道が開かれてラストバトルに突入するんだけど、エサが魚で良いのなら別に町は襲わなくてよかったのでは…?という気がしないでもない。ボスのゴキゲンを取るためにレアものを取りに来ていたのかもしれないけど。何せ献上品が気に入らないと自分が食われちゃうもんな…。
ボスとのバトルになじみのある訓練施設のドラゴンが出てきたのは熱かった。訓練描写と同時に視聴者にドラゴンへの愛着を持たせていたのだ。ただ、訓練施設のドラゴンは…その…人に何回もボコボコにされていたりして相当…人に恨みがあったんじゃないか…?大丈夫か…?という感じである。
最後、バイキングとドラゴンが共存を果たしてハッピーエンド…に見えるんだけど、あいつら本職が海賊なんだよな…。バイキングたちがドラゴンも操りだしてますます手が付けられなくなったのではないか…?あそこら一帯の海が完全無秩序になったのでないか…?という気がしないでもないけど、まあ、麦わら海賊団的な感じで活躍してくれてたらいいな…と願うばかりである。
一番印象に残ってるのはやっぱりヒックとトゥースの飛行シーン。「空を自由にとびたいな」というのは子供の圧倒的あこがれなのだ。アスティちゃんが一発でデレるほどの破壊力。子供が映画を見終わった後に「おれもドラゴンに乗って空をとびてええ!!」と思って映画館を飛び出してくれればこの映画にとってそれ以上の成功はないだろう。
2018 |
03,21 |
前作の二重の衝撃の幕切れ(前後編なのかよ!、カッタッパがバーフバリ殺したってどういうことだよ!)からのストレートな続編。正直、このままマヒシュマティ王国になだれこんで今作は城塞戦などがメインになるバトルに次ぐバトルになるのかな!?と思ってたんだけど、ビックリするぐらい過去編が長かった。
感覚的にはスターウォーズのEP3。もう見てる側はバラーラデーヴァが王になってデーヴァセーナが鎖に繋がって…という流れは知ってるわけだから…と思ったけど、もしかして「凱旋」しか見てない人ってこの流れをあんまり理解しないで本編に突入してたりするのかな。前作から見てるとバラーラデーヴァが王になったところでダース・ヴェイダーのテーマが流れる感じになるんだけど。
バーフバリが地方に行脚しに行った時点で「あ、この話長くなるな」と覚悟を決めれたんだけど、前作からの流れで「早くマヒシュマティ王国を攻めに行けよ!」と思いながら見てた人はかなりつらい思いをしたんじゃないかなあ。特に連続視聴をした人はその傾向が強いと思う。
人は「これからこういう展開が待ってますよ」という示唆をされると「早くその話が見たい」って思う傾向がある(当たり前っちゃあ当たり前なんだけど)んだよな。その「展開」を見届けないとなんかこう座りが悪いというか。「その話は置いといて実は…」とかされるとあんまり集中できない。「ラオウ戦は置いといて南斗を滅ぼしに行きましょう」と言われた時期の北斗の拳みたいな感じだ。
前作で滝を登ってるところを「ゼルダ!ゼルダ!!」って大喜びして見てたら今回はイノシシとか狩り出して「完全にゼルダ」「言い訳できない」って感じだった。お調子者のクマラさんを単なる捨てキャラにしないでちゃんと見せ場を用意してくれたのは嬉しかったね。デーヴァセーナ以外にもバーフバリを認めてる人がいてくれると、「みんなから認められてる」感が出ていい。クマラさんはもう一個バラーラデーヴァ暗殺でも出番があって、そっちでも美味しく使われていた。
バーフバリが正体を隠してクンタラで無能を演じつつ、最後に印籠(マヒシュマティ王国の印)を出す流れは完全に水戸黄門。いや、このメソッド日本国内限定で強い求心力を持ってるのかと思ってたんだけど、この「偉い人が身分を隠してふにゃふにゃしてから正体を明かしてバーン!」ってのはインドでも通用するんだな。水戸黄門メソッドは割とワールドワイドだ。
バラーラデーヴァはめちゃくちゃ悪役なんだけど、彼自身にバーフバリの「引き立て役」になろうという気が微塵もないのがいい。行動すべてがちゃんと「自分が幸せになる」という方向を向いて行動しているのである意味で清々しい。
本当に彼は見ていて可哀想なんだよ。彼自身はわりと…こう…邪悪なところもありはするんだけど、まあそれはそれとして王としての資質はそこそこあったんじゃないかなと思うんだよな。なんかもうやることなすこと「バーフバリの方がスゲー!」「バーフバリ万歳!」「バーフバリ万歳!」って言われたら、いじけちゃうのも分かる。
彼にもよき理解者がいれば良かったんだけど唯一の味方があの歪んだ野心を持った父親だったところも彼の不幸。そう考えると諸悪の根源はビッジャラデーヴァという気がしないでもない。
逆境に次ぐ逆境(なんといってもこの物語自体が「バーフバリ神話」とも言うべきものなのでバーフバリには常にバイオリレーションフィールドによる無敵補正が付いている)にもめげず、唯一「デーヴァセーナ」というアキレス健を使ってバーフバリを政略で陥れていく。バラーラデーヴァめちゃ頑張ってた。さすがに「デーヴァセーナを嫁に貰いたいと言う」→「王の座が転がり込んでくる」(???!??)というスーパープレイまでは読めなかったにしても、バーフバリの情報を素早くつかみ、いち早く行動したあの判断力は特筆すべきものである。「どういう効果があるかは分からないけど石は投げておいてみるか」というのは大事なことなのだ。
無敵補正が掛かっているバーフバリを無視して標準をデーヴァセーナに定めたのが完全に勝因だった。挑発に弱いデーヴァセーナをたぶらかし、王冠のみながらずバーフバリの国外追放も勝ち得た。この辺りのバラーラデーヴァは本当に冴えていた。
前作最大のヒキである「カッタッパがバーフバリ殺した」なんだけど、これは判断が分かれるところだと思う。
実際に殺害したのもカッタッパなんだけど、これを「バラーラデーヴァの命令を先祖の盟約により断れなかった」という流れでカッタッパ自身は真の忠臣であり、悪いのはやっぱりバラーラデーヴァだったんじゃん!と思うのか、あるいは大本を辿って「カッタッパがシヴァガミの手紙にあった「王子」の事をバーフバリと勘違いした」事がそもそもの発端であり、それをもって「カッタッパがバーフバリ殺した」と言ってる、とも解釈できると思う。
ストレートに解釈すれば前者なんだとは思うんだけど、個人的には後者かな。製作者の意図的には前者は「表の理由」、後者は「裏の真意」という感じで設定していると思う。
思ってた数倍長い回想を経てようやくマヒシュマティ王国に突入。バラーラデーヴァにしてみれば本当に策を練りに練ってようやくブチ殺した宿敵と同じ顔が向こうの丘からやってくるんだから完全にホラーかと思いきや、自分の手でブチ殺したかったので嬉しいとか言い出すし、本当に彼は悪役として満点ではなかろうか。ちょっとラッキーマンのさっちゃんみたいだった。(三本柱マンのリセットのくだり)
ヤシの木シールド弾丸やバラーラデーヴァのオモシロ戦車(プロペラ三倍!)などが次々に登場してようやく「これが見たかった!」という場面が始まる。しかし、思ってたよりもあっさりとマヒシュマティ王国は陥落してしまった。バーフバリとバラーラデーヴァの一騎打ちシーンが長くて、あまり城塞戦という感じがしなかった。
最後は慈悲とか無くバラーラデーヴァを思いっきり完全焼却し、バーフバリが王についてエンド。この作品を見てようやくアヴァンティカ@クンタラ国がデーヴァセーナを奪還しようとしてる理由が分かるんだけど、もはやアヴァンティカ自体が何のために居るのか良く分からなくなっているのは…黙っておいた方が…いい…みたいだ。
感覚的にはスターウォーズのEP3。もう見てる側はバラーラデーヴァが王になってデーヴァセーナが鎖に繋がって…という流れは知ってるわけだから…と思ったけど、もしかして「凱旋」しか見てない人ってこの流れをあんまり理解しないで本編に突入してたりするのかな。前作から見てるとバラーラデーヴァが王になったところでダース・ヴェイダーのテーマが流れる感じになるんだけど。
バーフバリが地方に行脚しに行った時点で「あ、この話長くなるな」と覚悟を決めれたんだけど、前作からの流れで「早くマヒシュマティ王国を攻めに行けよ!」と思いながら見てた人はかなりつらい思いをしたんじゃないかなあ。特に連続視聴をした人はその傾向が強いと思う。
人は「これからこういう展開が待ってますよ」という示唆をされると「早くその話が見たい」って思う傾向がある(当たり前っちゃあ当たり前なんだけど)んだよな。その「展開」を見届けないとなんかこう座りが悪いというか。「その話は置いといて実は…」とかされるとあんまり集中できない。「ラオウ戦は置いといて南斗を滅ぼしに行きましょう」と言われた時期の北斗の拳みたいな感じだ。
前作で滝を登ってるところを「ゼルダ!ゼルダ!!」って大喜びして見てたら今回はイノシシとか狩り出して「完全にゼルダ」「言い訳できない」って感じだった。お調子者のクマラさんを単なる捨てキャラにしないでちゃんと見せ場を用意してくれたのは嬉しかったね。デーヴァセーナ以外にもバーフバリを認めてる人がいてくれると、「みんなから認められてる」感が出ていい。クマラさんはもう一個バラーラデーヴァ暗殺でも出番があって、そっちでも美味しく使われていた。
バーフバリが正体を隠してクンタラで無能を演じつつ、最後に印籠(マヒシュマティ王国の印)を出す流れは完全に水戸黄門。いや、このメソッド日本国内限定で強い求心力を持ってるのかと思ってたんだけど、この「偉い人が身分を隠してふにゃふにゃしてから正体を明かしてバーン!」ってのはインドでも通用するんだな。水戸黄門メソッドは割とワールドワイドだ。
バラーラデーヴァはめちゃくちゃ悪役なんだけど、彼自身にバーフバリの「引き立て役」になろうという気が微塵もないのがいい。行動すべてがちゃんと「自分が幸せになる」という方向を向いて行動しているのである意味で清々しい。
本当に彼は見ていて可哀想なんだよ。彼自身はわりと…こう…邪悪なところもありはするんだけど、まあそれはそれとして王としての資質はそこそこあったんじゃないかなと思うんだよな。なんかもうやることなすこと「バーフバリの方がスゲー!」「バーフバリ万歳!」「バーフバリ万歳!」って言われたら、いじけちゃうのも分かる。
彼にもよき理解者がいれば良かったんだけど唯一の味方があの歪んだ野心を持った父親だったところも彼の不幸。そう考えると諸悪の根源はビッジャラデーヴァという気がしないでもない。
逆境に次ぐ逆境(なんといってもこの物語自体が「バーフバリ神話」とも言うべきものなのでバーフバリには常にバイオリレーションフィールドによる無敵補正が付いている)にもめげず、唯一「デーヴァセーナ」というアキレス健を使ってバーフバリを政略で陥れていく。バラーラデーヴァめちゃ頑張ってた。さすがに「デーヴァセーナを嫁に貰いたいと言う」→「王の座が転がり込んでくる」(???!??)というスーパープレイまでは読めなかったにしても、バーフバリの情報を素早くつかみ、いち早く行動したあの判断力は特筆すべきものである。「どういう効果があるかは分からないけど石は投げておいてみるか」というのは大事なことなのだ。
無敵補正が掛かっているバーフバリを無視して標準をデーヴァセーナに定めたのが完全に勝因だった。挑発に弱いデーヴァセーナをたぶらかし、王冠のみながらずバーフバリの国外追放も勝ち得た。この辺りのバラーラデーヴァは本当に冴えていた。
前作最大のヒキである「カッタッパがバーフバリ殺した」なんだけど、これは判断が分かれるところだと思う。
実際に殺害したのもカッタッパなんだけど、これを「バラーラデーヴァの命令を先祖の盟約により断れなかった」という流れでカッタッパ自身は真の忠臣であり、悪いのはやっぱりバラーラデーヴァだったんじゃん!と思うのか、あるいは大本を辿って「カッタッパがシヴァガミの手紙にあった「王子」の事をバーフバリと勘違いした」事がそもそもの発端であり、それをもって「カッタッパがバーフバリ殺した」と言ってる、とも解釈できると思う。
ストレートに解釈すれば前者なんだとは思うんだけど、個人的には後者かな。製作者の意図的には前者は「表の理由」、後者は「裏の真意」という感じで設定していると思う。
思ってた数倍長い回想を経てようやくマヒシュマティ王国に突入。バラーラデーヴァにしてみれば本当に策を練りに練ってようやくブチ殺した宿敵と同じ顔が向こうの丘からやってくるんだから完全にホラーかと思いきや、自分の手でブチ殺したかったので嬉しいとか言い出すし、本当に彼は悪役として満点ではなかろうか。ちょっとラッキーマンのさっちゃんみたいだった。(三本柱マンのリセットのくだり)
ヤシの木シールド弾丸やバラーラデーヴァのオモシロ戦車(プロペラ三倍!)などが次々に登場してようやく「これが見たかった!」という場面が始まる。しかし、思ってたよりもあっさりとマヒシュマティ王国は陥落してしまった。バーフバリとバラーラデーヴァの一騎打ちシーンが長くて、あまり城塞戦という感じがしなかった。
最後は慈悲とか無くバラーラデーヴァを思いっきり完全焼却し、バーフバリが王についてエンド。この作品を見てようやくアヴァンティカ@クンタラ国がデーヴァセーナを奪還しようとしてる理由が分かるんだけど、もはやアヴァンティカ自体が何のために居るのか良く分からなくなっているのは…黙っておいた方が…いい…みたいだ。
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