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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
11,21

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2018
08,19
いや~、これ話題にはなってたんだけど、決定打だったのは好きな作家さんが「何も事前情報入れないで見に行って」というオススメをしていたからなんだけど、本当に事前情報なにも入れないでおいて良かった…。正直、なにも情報を入れないで映画館に映画を見に行くのってかなりリスキーなんだけど、それまでの「信頼」だけでそれをやらせてくれる人っていうのは大事だよな…。

まあ、もうこんな辺境の地にまで文を見に来るってことは当然視聴済なものとして、ネタバレガンガンで書いていきますよ。

前半のゾンビ映画パート。正直、開始早々からこの映画は「ゾンビ映画を撮ってたら本物が現れてパニックになるんだけど、それはフェイクで、そのパニックを利用して映画を撮っていた」っていうオチかと思ってたんだけど、真相はさらにそのもう一枚上だった。

だから、監督が「これが本物の映画だぜ~!!」って乱入してきて映画を劇中で「撮り始めた」時に、「そのオチじゃないのか…」とちょっと驚いた。驚いたんだけど、最初の予想がそのまま的中するようではオススメしてないだろうな、という妙な信頼感もあり、そのままゾンビシーンが流れていった。

不自然な個所はあった。ケガを延々と気にしたり(パニックになって支離滅裂になってるのかな…)とか、「ちょっと」って言って外に出る人とか。カメラが思いっきり地面に落ちたり、ナタが不自然に落ちてたり。最後におばさんが立ち上がって「なにあれ」って言ったり。ゾンビ映画シーンをあえて真面目に評するなら「妙に臨場感だけはあるけど、勢いだけのむちゃくちゃな映画」という感じだと思う。

それが一転、制作パートに入ってから、すべての違和感に合点が行くように出来ていた。まず出演していたはずのおばさんが監督のただの奥さん役で出ていたのもびっくりしたり、なにより監督が役と全く違う温厚な人物だったのもめちゃくちゃ上手かった。監督は本当にすごい。キャラを立てるというのはこういうことなのか…という感じである。

ゾンビ映画パートの勢いだけ感とは裏腹に制作パート編の緻密さは特筆に値する。とにかく無駄なシーンがないのだ。すべてが伏線、すべてに意味があるように出来ている。ここでいう「意味」とはゾンビ映画パートで発生した違和感に対する「回答」だ。

正直言って制作パートの無駄の無さは神懸かり的である。なにせ、この映画は三部構成で「ゾンビ映画編」はおそらく劇中の放送時間と同じく30分。(思い返せばゾンビ映画のテンプレートをそこそこのクオリティで30分に収めたのもかなりすごい)この映画の全体の上映時間は96分しかないので、「制作パート編」「ゾンビ映画裏側編」と合わせても66分しかないのだ。

その中で、番組の成り立ち、監督の葛藤、娘の上手く行かない感じ、母親の過去、細田さんの酒、クロちゃん(違う)の神経質な様子…etcを全て説明しきらなければならないのだ。ここで、時間が無い中で伏線を張り巡らせるために「複合伏線」が貼られることになる。つまり、酒のせいで家族関係の上手く行っていない細田さんの話の中に「娘の写真」を出すことで、ベロベロ出演の伏線とラストの決め手(組体操の着想)になった監督の「娘の写真」の伏線を融合させてしまっているのだ。細田さんが娘の写真を見て元気をだしているのと同様に、監督も娘の写真を見て元気をだしていた。いつも見ていた娘の写真に写っていた肩車、それが最後の決め手の着想になったのだ。もお~、素晴らしい。マジかよ。

おそらくこのような伏線の整理と複合が行われることで極めてスピーディかつ正確にラストの「ゾンビ映画裏側編」へと繋がる描写が積み重ねられていったのだ。しかも、これが一番重要なのだけど、それを感じさせない。ものすごいコメディタッチで描いていて、見ている方に「伏線の積み込み」を感じさせないのだ。全くストレスなく伏線描写を積み重ねていくその様子はまさに神業。

そのような神業の先に待つ「ゾンビ映画裏側編」はさながら答え合わせの様相を呈している。最初の「ゾンビ映画編」で感じた「違和感」がどんどん消化されていくのだ。見ていて気持ちがいい。「あそこの違和感はどんな裏側がまっていたのかな?」とどんどん「次」が見たくなっていく。ものすごいカタルシスだ。

ケガのシーンは実際に場を持たせていただけだし、「ちょっと」と言って出ていくクロちゃん。「本名言っちゃったよ」の名ギャグ。ゲロはNGと言ってたけど思い切り吹かれてたよな…とか、交代した瞬間にやりたいって言ってた「アップとズームを繰り返す」をやったりとか、階段で執拗に撮っていた逢花の尻のシーンについてはスルーか…とか。

現場の生放送という極限の状況下において登場人物が必死であればあるほどに生まれる「シリアスな笑い」。自分の見た劇場でも、「ゾンビ映画裏側編」では各所で笑いが起こっていた。

でも、おれは全然笑う事が出来なかった。もちろん、シリアスな笑いとして描かれていたし、他の人の「笑う」というリアクションが「正解」であることに間違いはないと思うんだけど、登場人物全員(酒飲んでた細田さん除く)がこの生放送を乗り切ろうと奮闘している様子に本当に胸を打たれた。無数に起こるトラブルにその場その場の判断で対処していくスタッフたち。

「ゾンビ映画編」で小屋で逢花が息を潜めてやりすごしたものすごい緊張感のあるシーン。あそこでは一体何が起こってたんだろうと思ってったら、斧回収のカンペが提示されていただけだった。ずっこけるよ!ずっこけるけど、なんかもう勢いで使っちゃった斧もラストで必要だからどっかで再入手させないといけない…とかリアルタイムで事態が迫っているのだ。「なんとかするんだ」というまさに戦場のような緊張感。

そしてラスト。一番気になってたおばさんの「なにあれ」の回答。これが本当に素晴らしい。前述の写真の伏線を生かした「組体操」。その前の、それまで妥協に妥協を重ねてきた監督が「ここだけは譲れない」とした血の魔方陣を映すシーン。「これを映さないとこの映画なんだったのってなるでしょ!?」というシーン、あるよね…。あるんだよ…。分かる…分かるよ…!!ディレクターの「そんなの誰も気にしてない」っていう言葉もさ…分かるよ…でもさ、やっぱり映さなきゃいけない場面ってあるんだよ!監督のそれまでに溜めに溜めた妥協が一気に反転したシーン!!

しかもその組体操ってのがまたいいんだ…!スタッフ総出で、まさに「みんなで作り上げた」この映画の象徴の様な組体操。もうね、本当に素晴らしい。これ以上にないラストシーンだった。

なんというか、話題では「低予算の映画がすごいヒット!」みたいな扱いをしてたんだけど、これ低予算関係ないよね。カツカツになるまで練りに練った脚本の勝利。そして、劇中の人物たち同様に「なんかあっと驚かせてるものを作ろう!」というスタッフの熱意の勝利だと思う。

そして、なにより「おれを信じてなにも聞かずに見て来いよ」と言ってくれる人のありがたさ。それを実感した映画だった。
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