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吉良吉影は静かに暮らしたい

2018
10,20
200分に渡る超大作である。それもそのはず、「ヴィトーがゴッドファーザーとしてのし上がるまで」(過去編)と「ゴッドファーザーを引き継いだマイケルのその後」(現代編)の二本の軸が同時に展開していくので、「続編」として描かれることが良くあるシチュエーションの映画二本分がぎゅっと凝縮されているのだ。そのため、間延び感はあまりない。一本当たりだと100分になるのでそこそこ普通程度の長さになる。

ヴィトーの過去で2、マイケルのその後で3という分け方でも十分映画としては「持った」とは思うけど、同時展開する事で映画のテーマは確かにくっきりと浮かび上がってくる。つまり、ヴィトーとマイケルの対比だ。

ゴッドファーザーとしてどんどんのし上がり、仲間も家族も増えていくヴィトーとゴッドファーザーとしての権力を維持するために裏切った仲間を抹殺し、妻からも去られていくマイケル。

ケイの、「身ごもっていたマイケルの子供を産みたく無さ過ぎて堕ろした」という告白は衝撃的だった。ヴィトーの妻カルネラがヴィトー亡き後もファミリーの絆として機能していたのとはあまりにも対照的だ。

やはり、2は殺伐としすぎていたように思う。1のコルレオーネファミリーにあった「暖かさ」の様なものが一切失われていた。ラストシーン、過去編と現代編がマイケルの回想の中で交わるヴィトーのある誕生日のシーン、家族に暖かく迎えられるヴィトーとついに実の兄であるフレドを暗殺し、トム以外の家族(子供以外)を失い部屋の中で一人になるマイケルのシーンも印象的だった。(あれっ、コニーは生きてたか…)

結局のところ、ヴィトーのマイケルに跡目を継がせたくない( = マフィアとして生きても幸せにはなれない)という予測は当たってしまった形になった。もちろん、マイケルは全く善人ではないので因果応報と言えばそれまでだ。ただ、犯罪に手を染めていたのはヴィトーも同じ。二人が生きた時代が違うといえばそれまでだが、やはりその決定的な違いは「家族への愛」だったと思う。ヴィトーは息子の病気を心配そうに見つめ、マイケルはクリスマスプレゼントをトムに任せていた。細かい点だが、こういった積み重ねが対比となっていったのだと思う。

ヴィトーが「家族」を守るために作った「ファミリー」。その「ファミリー」を守る(発展)させるために「家族」(フレド)を殺したマイケル。ここが二人の決定的な違いであり、ラストシーンの対比に繋がったのだろう。
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