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吉良吉影は静かに暮らしたい

2018
05,25
典型的な「ああ~~そっちに行っちゃうのおおお??」という映画だった。

一家惨殺された家の地下から傷一つない正体不明の死体が発見されて、それを解剖医親子が検死するというストーリー。「冒頭に死体を転がしておけ」のミステリ基本戦術に乗っかったオープニングだ。

死体を解剖するシーンは生々しいものの、リアリティがあって見ごたえがある。そして、死体を解剖すると次々に明らかになる「異常な事態」。女性の死体に付けられた「内側からの傷」、丸ごと飲み込ませられた花、儀式に使われる布…などなど。外見には傷一つないのに内部がめちゃくちゃに荒らされている、これは一体どういうことなのか…?

謎が提示されると、当然次に思い浮かぶのは「どんな鮮やかなトリックで外傷無く内部の拷問が行われたのか」という事だろう。いやが上にも緊張感が盛り上がっていく。しかし、そこに現れたのは…ホラーだった…。

いや、ほんと…惜しい…。なんかこう…前半の盛り上げが上手かっただけに、見慣れぬ人影とか猫の惨殺とか「第三者」の存在が匂わされて、死体が安置所から消えて作品が徐々にホラーにシフトしていくところとか「やめろ…やめてくれ…!」という気持ちでいっぱいだった。

まあ…ねえ…あんだけ肉体内部に刻印とか入れまくって外見無傷ってなったらもう超常の力に頼るしかないんだけど、そうじゃないだろう…と。それアリだったらなんでもアリじゃないか…になっちゃうんだよな。

推理モノを読んでいて「密室から脱出したのは犯人がテレポート能力を持っていたからだ」とか言われるようなもんなんだよな。

たしかに成り立つ。成り立つよ。お話なんだから。でもなあ~こう…う~ん…アンフェア…という言葉を使ってもいいのだろうか。

前述の密室テレポートだって、ドキッ☆能力者だらけの推理大会!とかの「前提」があれば密室からテレポートで脱出するのもOKだろう。それはそういう「推理」が成り立つからだ。

でも、これは違うよな…。外傷がなかったのは「魔法で治していたからです」って…。この残念感はぜひとも教訓として生かしていきたい。作品の方向性は必ず一致させなければならない。恋愛映画だと思ってたら急にバトル物になったり、兄を失った悲しみから立ち直るヒューマンドラマだと思って見てたら急にヒーロー物になったりしてはいけないのだ。

…いけなくはないが、視聴者の「とまどい」を生んでしまう。その「とまどい」を上手く「面白さ」に変換できれば良いのだが、これはかなり難しい。「思ってたのとは違う」はかなりのマイナスファクターだ。特に映画のような短期決戦の作品形態では視聴者が見てる間に体制を立て直すのが難しい。連載漫画のような作品を咀嚼する時間が十分に取れる媒体ならば立て直しも可能だろう。

ただ、ラストにジェーン・ドゥの遺体の傷が完全に治り、この惨劇が「犯人のいない一家惨殺」の様になっていたのは上手かった。そう、冒頭の一家もこの映画本編と同様の事が起こったのだな…という「謎」がちゃんと解けたからだ。

謎の核心である「魔法」に納得は行かないものの、この展開にはちゃんと「納得」があった。それはこの作品がラストには完全にホラーにスライドした証なのだろうと思う。
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