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吉良吉影は静かに暮らしたい

2018
05,12
見る前は180分超という長さに尻込みをしてたけれど、見終わってしまえば、たしかに長さに合うだけの「間」やエピソードの多さなどそれに見合うリターンはあったかなという感じである。

ただ、エピソードは多いものの、双子の死の真相や所長の奥さんの病気など、用意されたタネが最初からタネに期待されてる以上の効果が無いというか、いわゆる「伏線」になってないんだよな。ウォートンとか来た瞬間に双子を殺した本当の犯人だって分かるし、所長の奥さんもゆくゆくはコーフィの能力で治すんだろうな~というのは分かるんだけど、それが成された時に「あ、このネタ消化したな」以上の感情があまり沸かない。ネタの消化と同時にこれはこう繋がるのか…という感じが無い。驚きが無いといった方がいいのかもしれない。

とはいえ、エピソード自体のつながりが雑と言う訳ではない。むしろあまりにもネタが整いすぎていてベルトコンベアで消化してる感が強い。長大な原作を何とか映画の形に落とし込んだ弊害のようにも感じる。

所長の奥さんの腫瘍を治すのも、おそらく原作ではもっと尺が割かれてるんだとは思うんだけど映画だけで見るとポールたちがクビを懸けてまで治してあげるほどの人物なのかな…という気になってしまう。囚人を外に連れ出すとか、劇中にもあったけど普通に彼らの方が収監されるほどの事態だ。それほどのリスクを犯すほどの動機づけが薄いんだよな。

なにせ、コーフィの能力を待ち望んでいる人たちはなにも所長の奥さんだけではないのだ。それこそ、世界中の人たちが同じように大切な人たちの難病に直面し、どうしようもない絶望感に包まれている。その中で彼女だけを救う理由はあまり納得できなかった。もちろん、目に入る人たちだけでも守りたい、自分に出来ることがあるならやりたいというポールの感情は理解できる。

ポールの尿路感染症は本当に辛そうだったので、治った時は素直に、心から良かったなあと思えたんだけど。

コーフィの能力は超常のものであるけれど、あのリアルな世界観にコーフィの能力を浮かせることなく馴染ませることが出来たのはそれ以外の描写(獄中描写)はのリアルさによるものだろう。大きなウソを混ぜるときはその嘘以外をリアルで固めなければならないのだ。

ただ、コーフィが所長の奥さんから吸い取った病気…というか悪いもの(?)をパーシーに移して錯乱させてウォートンを撃たせたのはあまりにも能力が飛躍しすぎていてちょっと理解が追いつかなかった。コーフィの能力は「病気を治す」のではなく、根本的には別の作用なんだけど、見た目上は「病気を治している」ように見える。その根本の能力を理解したうえで使用すると別の使用方法も出来る…というような描写あれば良かったのだけど、あれだと、こう…「悪いものを同士討ちさせたかったのでさせた」以上のものを感じることが出来なかった。

パーシーのおしおきはともかく、ウォートンの死刑はもうすでに決定事項なので別にパーシーを使わなくても良かったのでは…という気もしている。

ポールはコーフィの無実を知りながら、それでも無罪にすることは出来ずに死刑にせざるを得なかった。そして長命を「罰」として受けいれ、その長命ゆえにこの過去を何度も振り返り、悔恨しなければならなくなってしまった。あまりにも辛いラストである。劇中のポールは常に紳士的であり、正義感も強い好人物だっただけに、もうちょっと救いがあって欲しかった。
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