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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
05,22

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2018
03,18
そっちかよ!?という声が聞こえてきそうだけど、こっちだよ!!

前のDIGA(DMR-BZT810)が壊れてしまって、新しいDIGA(DMR-UBZ2030)を買ったら、Amazonビデオが見れるようになってて、丁度気になっていたバーフバリが配信されていたので試しに見てみたのだ。画質も思っていたよりもかなりいい(DVDよりも全然高画質だと思う)し、TSUTAYAでみつかならないときはこれもアリだなとは思うものの、レンタル400円は地味に高い。TSUTAYA旧作100円最強である。

本当はこれ映画と全然関係ないのでこんなところに書くのもアレかなと思うんだけど、ここはおれのブログなので好きに思いついたことを書いてもいいのだ。(多分)

正直、全部見た今なら「王の凱旋」冒頭についているという「60秒でわかる!バーフバリ 伝説誕生」を見ればOK!と言ってる人の気持ちがすごく分かる…。いや、多分…これ…それで大丈夫…だとは思うんだけど、自分の性分として、こういうのは「1」から見たいんだ。

FEシリーズもやりたいと思うんだけど、「暗黒龍と光の剣」から始めたくて、なかなか腰が上がらずにいるんだ…ゼルダ…とかも…。

とはいえ、やっぱり60秒ダイジェストは当然カットバリバリだと思うし、なによりもこのバーフバリという作品は物語の筋を知ることよりも美しい背景や肉体美、突然歌いだすインド映画特有のあの雰囲気を楽しみたいものだと思うので、「凱旋」を見た後に雰囲気が気に入ったのでじっくり「誕生」をみるのもいいと思う。(「凱旋」まだみてないのでエラソーなこと言えないけど)

冒頭からしてキックの効いたシナリオである。赤ん坊を抱いた女性が悪党に襲われていて、てっきり颯爽登場バーフバリ!するのかなと思ってたら、その赤ん坊こそがバーフバリだった…!という展開にいきなり惹きこまれてしまった。

いや~、これは本当にやられた。「伝説誕生」に偽りなしである。バーフバリの生い立ちからすべてを描写するぞという熱い冒頭。川の中、この子を助けたまえ!!って言って赤ん坊を掲げてそのまま自分は(水中なのでわかんないけどたぶん)仁王立ちで死ぬという男塾のワンエピソードかな?という熱さを持つ掴み。最高である。

このエピソードだけで、このバーフバリという存在がいかに特別で人々の信心を集めるに足る資質を持つ人物なのか、視聴者に肌で感じさせることが出来る。

全体的になんだけど、この映画「新しい神話」というか「こんな神話本当にありそうだよな…」感がすごい。「川の中で女性が赤ん坊を掲げて果てる」とかいかにもありそうなエピソードだ。神話は大概「ムチャするなあ」という描写が気軽に登場するのだけど、真面目に映像化すると本当に男塾顔負けのビジュアルになる。

後半の蛮族との戦闘も神話感があって、あれいかにもインド神話っぽいバトルなんだよな。超兵器で雑兵が焼き払われるところとか。ギリシャ神話とかは神と神がタイマンバトルをよくしてるFate型戦闘(サーバントによるタイマン)が多い印象なんだけど、インド神話のバトルは神が率いる多人数VS多人数のドリフターズ型戦闘(ドリフによって率いられたエルフ軍VSエンズによって率いられたオーク、デミ軍の集団戦)が多い。ラーマーヤナの描写とかそんな感じだと思う。

とにもかくにもバーフバリがカッコイイ。イケオジかと思ったら25歳とか言われてお前の様な25歳がいるかという感じなんだけど、インドなら…あるのかもしれない。いくつか印象に残ってる場面はあるんだけど、やっぱり崖を登り切る最後のところ、落ちながら弓を放って木に当ててロープをよじよじするところとか(ゼルダかよ)、アヴァンティカの腕に水中で刺青するところ…はギリギリ魚かな?と思ってたので気づかなかったとしても、弓を構えてる所に急に現れて(?)ヘビで注意を引いている隙に(??)肩に刺青を入れてる所(??!??)はツッコミどころが多すぎてそういうものなのかな…と見守ることしか出来なかった。

ヒロイン兼女戦士でもあるアヴァンティカをはじめ、バーフバリの本当の母親であるデーヴァセーナもなんだけど、女性がつよい。特にデーヴァセーナなんて長年の監禁生活によってボロボロなのかと思ったけど、復讐心バリッバリだし、このあたりのメンタルの強さはバーフバリ以上なんじゃないかと思う。

そして、前後編という事を知らなかったので、過去編が終わってうっかり「この映画なにする映画だっけ…?」と思いかけてたところにカッタッパのじいさんから衝撃の告白→幕切れで二重の衝撃を味わってしまった。うわっ、こ、こんな所で切れるのか…!?すごいな!これは確かに連続で見ても…いや、ごめんムリだ…。歳食うと二時間半で結構集中が切れてしまうんだ…。

確かに、ここからあの城に攻め入って一気呵成にバーフバリが王になっちゃうと明らかに尺が足りない。逆から言うと「凱旋」は二時間半たっぷりバーフバリの暴れぶりが堪能できるのだろう。そういった意味でも確かに「凱旋」から見ても問題なさそうである。

しかし、良く分からなかったのは、アヴァンティカの村の住人がマヒシュマティ王国と敵対してるのはまだしも、デーヴァセーナを奪還しようとしてたところなんだよな。あの村はデーヴァセーナ側についた勢力のなれの果てとかなのかな。そのあたりのバックグラウンドも「凱旋」で明らかになりそうだけど。
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2018
02,25
めちゃくちゃすごいな…!!

めちゃくちゃすごいよディズニー…!!

いやまず、設定が最高だよな。「悪役だってヒーローになりたい」。この考え方はこの作品のメインターゲットである子供たちに自分たちが普段ボコボコにしてる相手にも「思い」があったり「感情」があったりするのではないか…?という「想像すること」を自然に促せる。最高だ。この時点でこの作品が作られるべき理由は十分にある。相手に対する気遣い、想像、思いやり。それはこの映画を見た後に続く人生において、もっとも大切な財産になる。こんな素晴らしい視点がわずか104分で手に入るのだ。映画最高、ディズニー最高である。

「フィックス・イット・フェリックス」の住人たちはちょっとあまりにもラルフに対してひどい扱いをしている気がしないでもない。でもこれは、「ラルフが居なければゲームが成り立たない」という事に対して想像が出来ていないのだ。ラルフが居て当たり前、ラルフは壊す、住人はそれに対しておびえる、そしてヒーローのフェリックスがそれを直す、という「構図」しか頭にない。そしてそれはこの映画を見る前の子供たちを暗喩している。この映画を見て、「住人たちひどいな!ラルフが居なかったらダメじゃないか!」って思ってくれればよいのだ。

フェリックスはちゃんとナイスガイだった。「ラルフを止めるのは僕の役目さ!」はすさまじく痺れるセリフだ。しかし、その彼ですらも牢屋での邂逅まではラルフの本当の思いを汲み取ることはできていなかった。それほどまでにゲームにおける「役割」の先入観は強いのだ。

先ほどの「ラルフを止めるのは僕の役目さ!」の前には軍曹の過去シーンが挿入され、「結婚相手が式当日にサイ・バグ殺される」という、まあ、言ってしまえば「よくある」設定が披露されるんだけど、その描写はわずか10秒である。誇張なしに10秒だった。でもこの10秒で軍曹のキャラがグッと立ったし、のちのフェリックスとの恋仲になる伏線もはいってる。とてつもない10秒だ。

軍曹の10秒キャラ立てと「ラルフを止めるのは僕の役目さ!」が立て続けに来てあまりのすごさに声が出た。いや、正直ディズニーは映画館で見れないよ…。おれ、絶対に叫んじゃう。キャンディ大王の正体バレとか普通に叫んだ。

いやー、キャンディ大王の正体、また腰を抜かしてしまった。アナ、ズートピアに続いて正体バラシでビックリ出来て最高の映画体験ができている。いやしかし、よくこれ…回避できてたな…。最近TVでやってた気もするんだけど。これまで全然映画に関心が無かった(無かった…訳じゃないんだけど見る機会がなかった)のが逆に幸運になっている気がする。

まず「ターボする」という単語だけがゲームに出てくる。最初に単語に反応するのがベガ(だったと思う)なものだから、ストリートファイターのあの「ターボ」なのかな…?とか考えて「加速する」とか「バージョンアップする」とかのこと??とか思うわけだ。おそらく、これは意図的であそこにストリートファイターのキャラが居るのはこの「ターボ」を隠蔽するためでもあったと思う。

それからしばらくすると文脈から「他のゲームに移動したりすること」なのかな…?という風にふわっと理解できるようにはなる。でもなかなかその単語に対する説明が出てこないので、その単語が引っかかり続ける。アメリカではメジャーな概念なのかな…?とか思い始めた時にちゃんと「ターボ」の説明が入る。完璧なタイミングだ。

これが本当にすごいんだけど、この時に、「ターボ」の概念と共に「キャラ」がその存在を示唆されるんだけど、ターボがようやく理解できたことに対する安心感が先に来ているので、そのキャラのことは完全に視界から消えてしまう。でも、視界から消えるだけであって、そのキャラが「居た」ことは覚えてる。なんという脱臭効果。しかも説明を素直に聞くとターボは撤去された筐体ごとゲームから消えたかのように理解できてしまう。す、すごい…。

ヴァネロペに対する対応も完璧だ。彼女の登場は他のキャラに比べてかなり遅い。軍曹よりも後だ。それでも彼女のキャラ立ては抜群だ。可愛らしい動き、少し小憎たらしくてそれでも憎めない言動。そしてなによりも「バグ」による描画のズレ。描画のズレは明らかに異質であり、それは彼女の消滅を予感させるに十分な不吉な兆候に見える。彼女が明るく振る舞えば振る舞うほどこの先に待つ別れを予感させる悲しみと相まって彼女に感情移入してしまう。

そしてこの「バグ」の要素を使う事で、彼女の「排除」を理をもって行う事が出来る。「ヴァネロペのバグが公になればゲームが撤去されてしまう」というキャンディ大王の説明は理屈が通っていたし、実際この説得で一度ラルフも帰ってしまう。「真実の途中」による偽装だ。ズートピアの構図にわりと近いかもしれない。

ズートピアはウサギ市長の画策により肉食獣たちを暴れさせる弾丸を使って暴れさせ、それをライオン市長が監禁していた。ジュディはライオン市長の監禁(真実の途中)までは辿り着き、一件落着…となって「本当の真実」までは到達できずにニックと仲たがいしてしまう。

今回も「ヴァネロペのバグによって引き起こされるゲームの撤去」という「真実の途中」までは到達したものの、「なぜヴァネロペにバグが発生したのか」という真実までは到達できなかった。そしてこれも面白いんだけど、ジュディと同じようにラルフも実家(自分のゲーム)に戻って、「故障中」の紙からチラ見えしたシュガー・ラッシュの筐体を見て真実に気が付く。(ジュディは実家に帰って作物を見ることで神経弾の正体に気付く)

最初はヴァネロペはシュガー・ラッシュの新キャラクターか何かで、初代主人公だったキャンディ大王はその地位を追われるのが嫌で排除しようとしていたのかな…?と思っていたのだけど、キャンディ大王という存在そのものがそもそも異物だったのだ。最もおかしい「キャンディ大王」という存在を覆い隠すために世界全てが作り変えていたのだ。すごい…。

ヴァネロペとラルフの交流も見ていて楽しかった。さっきも言ったように彼女の登場は極めて遅い。時間が無い中でラルフとの交流描写を濃密なものにするために様々な工夫がなされている。カートを「1分」で作るという時間制限を作ることでサクサクと「作られてしまう」のを隠したりするものその一例だ。ただ、それを全く感じさせない。「1分」で作るのだって「ゲーム」になっているからだ。

キャンディ大王からメダルが返却されるシーンとヴァネロペから手作りメダルが渡されるシーンの交差は本当に見ていて辛かった。あの時点でのキャンディ大王の策はほぼ100%成功していたので、ラルフも見ている側も「ヴァネロペがレースに出ることの方が悪いことだ」と判断するのはしょうがない。ヴァネロペの味方をしてあげたいという「感情」と語られた(偽の)真実による「理」による激突。ラルフへの感情移入マックスである。そして「破壊」されるカート…。

ラルフの象徴ともいえる「破壊」がここであまりにも悲しく披露される。しかし、この「破壊」を元に戻せるのがフェリックスだ。ラルフの「破壊」とフェリックスの「再生」。まさに表裏一体の能力だ。この二人が力を合わせれば出来ないことはない。

サイ・バグの侵攻。ヴァネロペの軸とは別に展開されているこの軸は物語に緊迫感を与えてくれた。何か異物が入り込んだことで街が浸食されていくパンデミックものは好きなので見ていてワクワクした。最終的には二本の軸が重なり、「ターボを取り込んだサイ・バグ」がラスボスとなりラルフとバトル。練習用に使っていた地下ステージの溶岩でサイ・バグたちを引き寄せて倒す。か、完璧だ。

ただ、派手な二本軸だったわりには二つの要素はさほどかみ合わなかった印象はある。サイ・バグ軸がなくても(ラスボス化はともかく)別に話に支障はなかったような気がしないでもない。ちょっとお話が寂しいかな…という感じか。

最後に「フィックス・イット・フェリックス」のゲームに戻って住人たちに持ち上げられたときヴァネロペが見えるのも良い。ここはポスターを発見した伏線でもあるのだけど、いままでラルフにとって、おそらく「最もイヤ」だったはずの住人たちに持ち上げられて捨てられるというシーンが友達のヴァネロペがみえる(会える)という「最良」の瞬間に変わっているのだ。心なしか住人たちの持ち上げ方も優しくなっている。

ヴァネロペからもらったメダルに刻まれた「マイヒーロー」という文字。「Hero's Duty」で手に入れたメダルには「ヒーロー」としか書かれていなかった。みんなの「ヒーロー」じゃなくていいんだ。自分の役割を果たす、誰かの「マイヒーロー」であればいい。

誰かが自分の事を「マイヒーロー」だと信じてくれるのならば、どんな役割でもそれに対して誇りをもって行う事が出来るのだから。
2018
02,24
えーっと、その…。まあ、ストーリーは無い。あるといえばあるんだけど、「二人の出身の孤児院(教会)の納める税金をバンドで稼ぐ」これだけの非常にシンプルな筋に、歌とコメディが乗ってる感じ。おそらくそちらに全振りしているので、別に良いといえば良いんだけど、シーン単位で見てもおかしい。ストーリーではなく、エピソードが成り立ってない。

お金を集めるためにバンドを組む、そのバンドメンバーを再結成するために集めよう。という筋はいい。ある意味でアルマゲドンだ。最後に「I don't Want to Miss a Thing」も歌いださんばかりだ。

とにかく、ブルース・ブラザーズにかかわる人たちが不幸になりすぎる。エルウッドが免停だったのに車を動かしていたら、パトカーに止められ、そのまま逮捕されそうだったのでカーチェイスの末に逃げる、バンドから足を洗って、ホテルで働いてるメンバーをホテルで暴れまわって無理やりメンバーに加えたり、出演する予定のない店に無理やり乗り込んでたまたま出演予定だったバンドが遅れていたことを良い事に演奏し…たのはいいんだけど、そのもともと出演予定だったバンドに突っかかり、そのバンドの車と二人を追っていたパトカーが衝突し…。

ってあの、この上の文だけ読んでると「ヤクでもやってたんか?」と聞きたくなると思うんだけど、おれも聞きたいよ!どうやったらここまでこう…整合性というか…「おかしくないか?」と疑問を持たずにシナリオを書き上げられるのか。確実に読み直しは行われていないと思う。しかも上のはホンの一例で、こんな感じの終始おかしいエピソードが次から次へと湧き出てくる。

しかも、なんだか分からないのだけど、この映画はやたらと金がかかってる。ボンボコボンボコ車は潰すし、ショッピングモールを一つ車数台で走り回って壊滅状態にするし、街の幹線道路はクラッシュしたパトカーの山が築かれていた。CGだっておそらくない時代だろうから、あれは全部セットなんだと思う。驚異的な金の使い方にさすがに驚かされる。コンマ1秒も練りが行われていないシナリオの一行を実行するために凄まじい労力が支払われている。ある意味でロックだ。ロック・ブラザーズに変更した方がいい。

まあ、言うまでもないんだけど、おそらくこの映画は「加トちゃんケンちゃん」のコントをそのまま拡大版にしたような感じなんだよな。だからシナリオにあーだーこーだいうのはナンセンスなんだ。

良いところもわりとある。楽器店の店主に「おい、このキーボード音が鳴らないところがあるぞ」って言ったら楽器店の店主が「んなことないだろ」って弾き始めたらいきなりミュージックパートが始まって笑ってしまった。黒塗りの高級車と同じ文脈だ。

町のレストランでコックをやってたメンバーを引き抜きに来たところで、そのメンバーの奥さんが「ミュージシャンとかやめろや」って言う歌を客を巻き込んで歌うんだけど、そこにブルース・ブラザーズも力なく加わっていたり。シーンじゃないぞ。1コマ単位、ショットだ。ショットで笑える箇所なら確かに存在する。そしてこの映画はそのショットのために存在しているのだ。それならそれでしょうがない。

ブルース・ブラザーズの二人もすごい。今思い返しても、どう考えてもロクなことをしてないのに、わりと嫌いになれないあたりあの二人の魅力というかスター性はすごいんじゃあないかなあ。「何を犠牲にしてもあの二人にかかわりたい」そんな魅力はちゃんと描けていたように思う。

いや、シナリオひどいけど。
2018
02,19
何から書こうか…。うむ……そう…なんだよな…。

なんというか、戦時中というと常に鬱屈していて辛くて…というイメージがあるんだけど、人はそんな中でもきっとこう…それだけじゃなかったんだよな。戦時中だって、晴美ちゃんのような子供の笑顔に救われたり、料理の嵩を増すためにいろいろと工夫したり、大切な人がちゃんと仕事場から戻ってきたり…といった救いや笑顔は確かにあったんだよな。

ただ、言うまでもないし作中でもすずさんが「良かった、良かったって…全然良くない!」みたいな事を言っていたように、これは本当にただの「不幸中の幸い」で、決してプラスではない。戦時中という状況を「良し」としてる訳ではない。

とはいえ、その時代にだって確かにあったはずの、その当時を生きた人たちの思いを全て黒く塗りつぶしてもいいのか?そういう葛藤とゆらぎが優しい絵柄で描かれている。

まずは何と言ってもすずさんのキャラが素晴らしい。あの時代を描くにあたって、こういうのほほとしたキャラクターを主軸に置くというが既にものすごい。幼少の頃の可愛いすずさんが感じた一つ一つの小さな思い出、出会い、経験に触れて、ずぶずぶと世界観に浸っていく。沼でこけたこと、お兄ちゃんにいじわるされたこと、ノートに自作のお話を描いたこと…。

作品の傾向的にハッピーエンドではないことが確定している中で、それでもすずさんが幸せにこのままと過ごせますように、と祈らずにはいられない描写の連続。この手法はどう考えてもひどい。ひどいけど「上手い」。

それでも、イメージよりもずっとすずさんは持ち前ののほほとした性格で作品は明るさを保ち続けていた。周作もあの時代の男にしては…現代の基準で考えたってかなりいい夫だったと思う。きちんとすずさんの事を愛して、大事にしていたし。何よりも最後まで生き残ってくれた。これは本当に大きい。

径子さんのツンツン態度なんて可愛いものだ。むしろ径子さん居なかったら「ハーイ!あっこです」よりもほのぼのとしてしまう。そしてなによりも晴美ちゃんがめちゃくちゃ可愛い。晴美ちゃんの無邪気なキャキャキャという笑い声がじわりじわりと日常を侵し続ける戦火の中で救いにもなっていた。

増える空襲といつの間にか日常になる空襲警報。この辺りの「日常が壊れ始める」描写もすごい。なにが日常で何が日常でないのか。気が付いたら戦火の真っ最中、というこの感じが怖い。

晴美ちゃんとすずさんの右手が失われた場面は本当につらい…。映画館で見てても声を上げたと思ったくらい衝撃だった。晴美ちゃんによって救われていた場面が相当あっただけに、それと同時に絵を描くことが好きなすずさんの右手まで持っていく容赦のなさ。晴美ちゃんを失ってすずさんに当たってしまう径子さんの気持ちも分かるよな…。何かを責めないと自分の心に折り合いがつかないんだろうな…というのが、径子さん自身も分かっているのがつらい。ただ、多分すずさんが右手を失ってなかったら、径子さんの…その…すずさんに対する憤りはもっと強かったんだろうな、とも思う。

終戦時のすずさんの慟哭もすごい。あの温和なすずさんの叫びだからこそ、余計に響く。あの放送でそれまでの「価値観」が全て崩れちゃったんだよな。右手を失ったことも、晴美ちゃんを失ったことも、戦争によるそれこそ様々な抑圧があれですべて無くなってしまった。すずさんの正確な心情を汲むことはできないのだけど、昨日までどんどん来ていた空襲が「戦争が終わったので、もう空襲はありません」とか言葉で言われてもなかなか落とし込むことはできないよな…。

それだけに、終戦を迎えた瞬間よりも、終戦日から日が進むにしたがってだんだんと「敗戦」を受け入れている描写が重かった。終戦の放送で劇的に終わるのではなく、その後の描写でじわじわとその日常をしみこませていく、というのが実にこの作品らしかった。

結局のところ、この作品はたぶん原爆が落とされた街に居たり、そういう戦争のド中心に「いなかった」人たちの物語だったのだと思う。そういう本当の中心にいた人たちは、数で言えば少数なんだけど、こういう「作品」では取り上げられやすかった。

でも、本当に大多数の人が経験した戦争というのは、こんな風に広島に新型爆弾が落とされた「らしい」とか、そういう位置だったんじゃないかな。けして戦争の「主人公」ではない人々。その様子を描いた作品だったと思う。
2018
02,18
久しぶりのえいがのじかんだ~!!

いい……素晴らしい…休日の朝から映画を見ると一日が充実して始まる…。続けたい…この習慣……。

昨日(土曜日)は本当はシュガー・ラッシュを見るつもりで借りて来たんだけどBDデッキが壊れてしまってBDが読み込めなくなってしまった…。まあ、6年も使ってるのでしょうがないといえばしょうがないんだけど。週明けにBDクリーナーを買ってきてダメだったらもう買い替えだな…。

という訳で、バタフライ・エフェクト。

いや~、映画はやっぱりすごいな…。たった二時間でこんなに「試行錯誤を繰り返した男の挑戦」を描けるなんてな…。

描写やシーンがガンガン切り替わるのでかなり気合を入れて見ないとついていけないんだけど、ちゃんと面白かった。しかも、見てるときには矛盾に気付かないんだけど、見終わった後に思い返してみるとあそこおかしかったよな…?と思うことってよくあるけど、この映画はこうやって感想書こうと思っていろいろな要素を思い出してみると全部パチパチとパズルが組み合うようにちゃんとお互いの要素が補完し合ってキッチリ噛み合ってるんだよな…。

丁寧な脚本は見終わった後にこそ真価が分かる、これはわりとシナリオの真理なんじゃないかなあ。

「バタフライ・エフェクト」というタイトルも素晴らしい。何かの要素を変えようとして行動をするんだけど、それが巡り巡って全く違う結果が生まれてしまう、まさにこの作品を表すのにこれ以上ないタイトルだ。

「過去を改変して愛する女性を救う」というプロットを見ると、「君の名は」とか「シュタインズゲート」をまあ、やっぱり思い出すんだけど「君の名は」が滝君が三葉ちゃんにどこで惚れたんだ…?という問題があった。(個人の感想です)

でも、ケイリーはそもそも家庭環境からしてあまりにも可哀想で、この子は救ってあげなきゃいけないな!という気にさせられるのも大きい。未来が切り替わるたびに薬に溺れたり、自殺したり…と「恋愛」を抜きにしてもなんとかしてあげなきゃな…という感じである。

トミーはほんとマジでお前…ナチュラルに人を角材で殴るんじゃないよ…。躊躇が無さ過ぎて怖いよ!プロシュート兄貴かよ!でもあれはあの親父のせいで性格がゆがんだっぽいので、それはそれで可哀想な気がしないでもない。あの親父をダイナマイトで吹っ飛ばしていれば全てが解決したんじゃなかろうか。そういえば最初、トミーとケイリーが兄妹だって気づかなくてケイリーが好きな男の子だと思ってた。

レニーの巻き込まれぶりもすごい。ただただトニーとクラスが一緒になっていじめられていたというだけで、すさまじい運命が待っていた。レニーの「なんでおれこんなことになっちゃったんだろう」感はまさにバタフライ・エフェクト感たっぷりである。

やっぱり、ラストがすごいな。日記をつける前まで戻っちゃったから日記が消失したんだけど、親父が過去戻りに使っていたアイテムが「アルバム」ってことに気が付いて、(私はここで「親父はアイテムがアルバムだったんだ~。(昔はスマホとかないし、現像もあるし)写真撮るの大変そうだな…」としか思わなかったんだけど)、過去戻りのキーアイテムが「過去に関連するものならなんでもよい」(いや、「抜け落ちた記憶の周辺と関連する記録物かな…」)という隠しルールが提示されて、ホームビデオを持ってきてケイリーとの出会いのシーンに戻って、「出会った時から好きだった」という情報を元にケイリーを遠ざけてEND。うーん、流れるような収束が素晴らしい。なにより、ケイリーを守るために、彼女との関係を全て捨てるという選択をしたのが泣ける…。エヴァン、お前は漢だよ…。

まあ、いろいろ言いたいこともある。消えた記憶の断片部分に飛べるのは一回だけなのかと思ったら何回も飛べてるし、最後のケイリーとの出会いのシーンの記憶を失ってる描写もなかったし、そもそもホームビデオが唐突だし…。さらに言うと、あの殺人の絵は結局なんだったんだろうとか、親父は別に自殺しないでも良かったのでは(エヴァンを殺そうとしたのはわかる)…とかあるんだけど、まあまあ、そこら辺はいいじゃないか。エヴァンの漢気に免じて目をつぶろう。

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