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吉良吉影は静かに暮らしたい

2020
01,05
これが、スター・ウォーズ。みんなこれが見たかったんだろ!?という映画だった。

いい面もあるし悪い面もある。いい面としては画面全体の豪華な作り、初期の辺りに出て来た部族のお祭りの画面いっぱいに広がる派手で、今まで体験したことが無い賑やかなCGやデス・スターが落ちてた惑星の大波に揺られながらのチャンバラシーンはこれでもかというほどにお金が掛けられていて見ていてゴージャスな気持ちになれる。せっかくのスター・ウォーズ、出し惜しみなしで行こうぜ!!という気持ちの良さがあるし、スター・ウォーズはこれでいいと思う。

ストーリーラインのいい意味での単純さ(惑星エクセゴルに行くためにはこれをやって、これをやるにはこれをクリアする必要があって…というRPGのフローチャートのような展開)もストーリーの煩雑さに気を取られることなく画面に集中できる。そう言った意味では「7」に近い感じがした。結局、ミレニアム・ファルコンが宇宙のいろんなところにビュンビュン飛び回って冒険している様が見たいのだ。フォースで宇宙船を引っ張り戻したところも良かった。

悪い面…というか、これは私が勝手に個人的に期待していたところがそうならなかったので残念だなあと感じているところなんだけど、レイの正体…というか出自が「パルパティーンの孫」というのは一番残念だった。レイのファミリーネームのギミックは7の時点から仕組まれていたのでもしかしたら最初期から設定されていたのかもしれないのだけど、レイがパルパティーンの血筋を引いていると結局、宇宙全体という壮大な舞台を用意していても、登場している人物の範囲が限りなく狭くなってしまって、窮屈に感じられる。(逆に広大な世界観、限定された人間関係で対比しているのかもしれないけど…)

新三部作になって「レイ」というこれまでのシリーズとは一切関係の無い新しいキャラクターが登場した。これはフォースというものはどこにでもあり、誰にでもあるもの、つまり「レイ」はそれまでジェダイとシスの戦いの中で「背景」でしかなかった「ただの人間」であり、その「ただの人間」でも勇気と意思さえあればジェダイになれる、というのが新三部作なのかなと思い込んでいた。まあただ、こういう「予想」は得てしてはずれるものなので、「そうじゃないです」と言われたら「そっか~」としか言いようがない。

あと、ストーリーラインが単純なのはいいんだけど、処理が適当な部分も多かった。輸送船が爆発してチューバッカが死んだ→二台あったので無事(画面には一台しか映ってない)とか、シスの言語を解析したらC3POのデータが消えてしまう!→バックアップで戻りました。(いやまあ、戻るって言ってたけど…)とか、ぶち上げておいて「なんだあ」という感じで解決する部分が多く、茶番感が増してしまった。基本的にフォースとか一瞬でも冷静になったら「こいつら何遊んでんだ…??」と正気に戻りがちなスター・ウォーズで真顔に戻る描写は致命的なので避けた方が良い。これなら入れない方が良かったまである。

とはいえ、最後にレイが「私の名前はレイ・スカイウォーカーです」と〆てくれたので万事オッケー感はある。やはり最後の締めのセリフというのは極めて重要なのだ。まあ、あのセリフの意図も見た人で解釈が分かれる所ではあると思うんだけど、それはまあ、見終わった後にみんなで「あのセリフってさあ…」という肴にすればよいのである。(ちなみに私はあれはベンのフォースによってレイが蘇った経緯もあって、「スカイウォーカー」は自分の中にあるとレイが解釈した結果、と思ってる)
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2019
03,09
…ところで、ご存じとは思うけど、「獠」の字は普通の環境では表示されないため、ここから先は不本意ながら「リョウ」と書く。つらい…。シティーハンターの事をネットで書こうとするとこの問題が常に付きまとう。

さて、何を隠そうおれが子供の頃「これがカッコイイということだ」という事を初めて認識したのがリョウだった。普段はおちゃらけているが、やる時はやる、どんなピンチでもリョウが来てくれれば必ずなんとかしてくれる安心感。変身やロボットに乗ったりはしないが、その姿はまさにヒーロー。レンガ作りのアパート、ミニクーパー、コルトパイソンと言った舞台装置もオシャレでカッコよかった。当時地方に住んでいたおれにとって「新宿」という舞台もドラマやTVに出てくる様な得体の知れない「街」で、そんな街にならリョウの様なヒーローが居てもおかしくない…そんな風に感じられたのだった。

普段なら映画の感想にこんな個人の思い入れを書くことはあまりしないのだけど、この映画は違う。これは、こういう「思い入れ」のある人間に対して作られた映画で、それらをちゃんと一つ一つ拾ってくれていた映画だった。散々言われていることだけど、それがこの作品の成功した理由だったのだろう。

街中でテロリストが暴れまわり、カーチェイスが繰り広げられ、お風呂を覗き行き、簀巻きにされるリョウちゃん…。全てが懐かしい。トンボの演出、あったあった…と一つ一つのシーンがまさに「シティーハンター」以外の何物でもなく、安心して見ていられる。

全てがテンプレ、ネタバレの存在しない映画と言われるこの作品だけど、たった一つだけ凄まじいネタバレがあるとするならば、ラストに「Get Wild」の後に続けて「Still love her(失われた風景)」が流れるという事だろう。

これ~!!!これ…おれはこれを知った上で見に行ってしまったのだけど、本当は知らずに見に行きたかった…。でもさあ~、あの、めちゃくちゃ個人的な事を書いちゃうと、おれが初めて見たシティーハンターって「2」のアニメだったのね。だから、個人的にはシティーハンターのEDって言えば「Get Wild」じゃなくて「Still love her」なんだよな。実写の新宿を背景にリョウと香の止め画が入ってるアレ。

もちろん、「1」のEDである「Get Wild」の方が大きく取り上げられるのはしょうがないし、個人的にも好きなのでここはまあ、納得はしてるんだけど、それでも「映画のラストはリョウがポエムを言って「Get Wild」で締め!これしかないよな!!」とか言われると、う、うおお…おれは、おれは「Still love her」派なんだよ、チクショー、と思って、公開当初は見に行かなくてもいいかな…と思ってたんだけど、このネタバレを聞いてしまい、それは…お前…行くしかねえだろ…と思って見に行ってしまった。

これは難しいよな。これを聞かなかったら劇場に行かなかったと思うけど、聞かずに行きたかったという矛盾。剣を握らなければ おまえを守れない 剣を握ったままでは おまえを抱き締められない。

ただ、様式美は堅持しているものの、新しい要素も取り入れられている。新宿の掲示板がAR化されていたり、今回のメインの敵が「ドローン」になっていたりとちゃんと設定周りが2019年に合わせてアップデートされているのだ。

これは賛否の別れる所だったとは思う。制作側ももちろん「否」の可能性も考慮した上でこれらの要素を取り入れてくれたのだろう。つまり、やろうと思えば「この作品の舞台設定は198X年なので、新宿の掲示板も勿論現存しているし、携帯電話も無いです」という設定での作成は可能だったということだ。それをあえてやらずに、舞台の設定を2019年に持ってきてくれた。なぜか。

それは、「2019年になってもシティーハンターの面子は、リョウは、元気にやってるぜ!」こう伝えたかったのだと思う。

あの頃憧れたヒーローよりもいつの間にか年上になってしまったおれたちに、リョウたちは変わらぬ活躍と元気を与えてくれた。リョウたちは新宿を守るのと同じようにおれたちの思い出も守ってくれたのだ。面白いとか面白くないとかじゃない、とにかく「ありがとう」そう伝えたくなる映画だった。
2019
02,16
「でかいばかうけ」という前情報だけを元にアマゾンの奥地に向かった我々が目にしたものは「でかいばかうけ」だった…。

うう~ん、うん…。やりたい事はなんとなくわかったんだけど、何というか、こう…これも「最初に望んでいた展開にならないでなんとなく乗れなかった」類の映画だと思う。いやまあ、ばかうけはちゃんとばかうけだったので、そこの期待には応えていたのだけど…。

最初の印象としては未知の宇宙人が来襲して、その知的(?)生命体となんとかコンタクトを取ろうと言語学者が頑張る…という構図で、いかに「言語」の謎を解いていくかに比重が置かれるのかと思っていたのだけど、その言語自体の謎解きはルイーズがどんどん解いていってしまうので、視聴者には「ヒント」も与えられない。「こういう仕掛けだったのか!」という驚きも特に無く、物語の後半では完全に覚醒したルイーズの読解力を反映するように、文字に直接ルビが振られてしまい「この映画は別に翻訳ゲームではない」という事がありありと提示される。

なんというか、ラピュタでムスカが手帳片手に文字を解読して「読める…読めるぞ…!」って言って封印解くシーンが好きなんだけど、ああいうのを期待してたんだよな…。あの描写も、もちろん別に見ている側としては翻訳ゲームに参加したわけではないんだけど、この映画はムスカの「シーン」と違って、それが「主題」に置かれているので、そこでガンガン先に進まれるとかなり「置いてけぼり」感はある。

言語解析の「置いてけぼり」感はともかく、序盤から提示されていた「未婚の」ルイーズの子供の描写はちゃんと謎として機能していて、こちらの方はちゃんと「解」も用意されていた様に思う。すなわち、最初の方で「言語が認識を決定する」という伏線(?)に則って、「ヘプタポッドは未来も現在も一元的に捉えることが出来る = その言語を習得したルイーズも未来視の様な力を得る = 過去と思われていた娘の描写はルイーズの見た未来」という回答だ。

つまり、この映画にとって「言語の解析」というのは「未来視を得るための過程」であり、本当のテーマは「未来視によって決定してしまっている不幸な未来 = 早死にする娘」を認識していたとしても、その未来を受け入れて娘と出会う事を選択するというものだったのだ。ここのところのテーマのずれが違和感となって今一つ映画に入り込めなかった要因になっていたのだと思う。もちろん、この路線変更を素直に受け入れられた人は満足できる出来ではあっただろう。

あとルイーズはともかく、イアンが本当に役に立っていなくて、あの影の薄さで本当に愛が生まれるのだろうか…という疑問がかなり残った。ウェバー大佐とくっついた方がまだ意外性もあってよかったまである。
2019
01,27
前々から気にはなっていて、そろそろアマプラ無料対象外になるという事で見てみた。

…見てみたのはいいのだけど、この作品も有名作にありがちな「ネタバレを知った上での視聴」になってしまっているので、勿体ない部分はあった。ただ、記憶では主役の刑事二人が死んで7つの大罪が完結するはずだったので、そこは記憶違いというか聞き間違い(?)だったので助かった面はある。

奥さんの首が宅急便で届くというのも知ってたんだけど、まさかあんな荒野のど真ん中にデリバリーされるとは思ってなかったので、そこも驚いた。やっぱり実際に見ないと分からないことというのは多い。

ネタバレを知った上で見ると、話の筋は追い易くなって伏線とかにも気が付きやすくなるんだけど、逆に思考の広がりと言うか「間違った解釈」がしにくくなっちゃうんだよな。セブンもまっさらな状態で見ていたら、自分がどういう感想を抱いていたんだろう…と気にはなるけど、それはもう幻に終わってしまった。

気になる点はいくつかある。トレイシーの子供が本当にミルズの子供だったんだろうか…?とか。もし別の子供だったら、彼女に「色欲」(ラスト)を負わせても良かった気もする。でも、トレイシーを狙ったのはそもそも当初の予定を変えてミルズに「憤怒」(ラース)を背負わせようとジョン・ドゥが路線変更したからであって、そうなるといろいろと矛盾が生じてしまうか。

それを言い出すと、もともと「憤怒」(ラース)を背負わせるはずだった人間が普通に被害に遭わないで生き残ってしまってるのだけど、ジョン・ドゥはそれで良かったのだろうか…。という気もする。スロウス(怠惰)の様に一年ほどの準備期間が必要な「処刑」方法ではなかったみたいだ。そういえばスロウスが生きてたのもびっくりした。

さらに言えば、ジョン・ドゥが「嫉妬」(エンヴィー)を担ってるのもミルズに出会って彼に嫉妬したからなんだよな…?そうなるとラースとエンヴィーはもともと別の人間がセットで担うはずだったのでは…?とも思えてくる。スロウスとはうって変わってこの二つの行き当たりばったり感がすごい。

一個気になる点が出てくるとポロポロ芋づる式で他の要素が気になってくるのは、この脚本がいろんな要素がちゃんと噛み合って作られている証拠でもあると思う。

この人物にはこの「罪」みたいな感じの組み合わせとか、作品全体の解釈など思う所は多い。やはりこの作品が「2ヶ月で忘れ去られる」作品になっていないのだけは間違いない。
2019
01,27
富、名声、力・・・この世のすべてを手に入れた男・オアシス創始者ジェームズ・ハリデー。彼の死に際に放った一言は、人々をオアシスへかり立てた。

「オアシス運営権か?欲しけりゃくれてやる。探せ!この世のすべてをそこへ置いてきた!!」

男たちは三つの鍵を目指し、夢を追い続ける。世はまさに、大VR時代!!

ありったけの パロを かき集め~!!♪

いやこれ、レディ・プレイヤーワンピースだろ…マジ…。鍵の説明してるときにウィーアー!!がずっと流れてて止まらなかった。

という訳で「レディ・プレイヤー1」。まあ、はっきり言うといっぱいのパロを詰め込んだお祭りムービーなので、ワンピのノリ(宝さがし)をベースにするのは話の筋がシンプルになって、その分気軽にパロを楽しめるのでいいと思う。

ただ、ハリデーと共同開発をしていたはずのモローがあまりにも唐突に消えたせいで、「モローってどこに行ったんだ…??」という疑問がずっと頭から消えないで、ソレントとモローがごっちゃになったりしてた時期もちょっとあった。ラストまで見ればモローの立ち位置も分かるし、しかけ(案内人=モロー)も驚けたんだけど、それはそれとしてもうちょっとモローの説明があった方が分かりやすかったかなとも思う。

とにかくお祭り感がすごい。デロリアンとか普通に出てきちゃうので嬉しい。障害物をくぐるときに「2」の飛行形体よろしくタイヤを車体側に畳んだりする細かいギミックにウヒョーってなっちゃう。多分、分からないだけでいくつものこういう仕掛けが用意されてるんだろう。全部の把握は無理でも、分かるやつだけ分かればいいのだろう。

とはいえ、シャイニングは見ておいて良かったな~とは思った。シャイニングの「見てないやつおる??」と言わんばかりの組み込まれぶりはすごかったな…。いや、普通に居るだろうとは思うんだけど…。まあ、「これからシャイニングの世界に行きます」と宣言はしているので、ネタが分からなくても「これはシャイニングのネタなんだろうな」と思って見ることはできるようにはなっている。

事前に「ガンダム出てくるやで」とは聞いてたので背景のどっかに居るのかな…?と注意深く見てたんだけど、終盤にめちゃくちゃ普通にデカデカと出てきてびっくりしてしまった。その前のメカゴジラもめちゃくちゃビックリしたので、メカゴジラとガンダムが目の前で戦い始めて、「メカゴジラとガンダムどっちが強い?」っていう小学生男子の妄想をそのまま形にしちゃうハリウッドのスケールのでかさと、許可出してくれた東宝とバンダイ(サンライズ?)の懐の深さには感心してしまった。こういうワクワク企画にOKを出してくれるのはとても嬉しい。

運営側になり、すっかりリア充になったウェイド君が陰キャ時代の事をすっかり忘れたように「お前らもゲームばっかやってないでリアルに戻れよ!週に二日はゲーム休みにしておいたぜ!俺?俺は彼女と楽しむぜ!!」と言っていたのは、なんかこう…彼女が出来た途端に付き合いの悪くなる友達みたいで、お前…!という感じがしないでもなかった。

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