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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
05,06

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2021
06,21
デザイナーの柳沢と大工の長一郎の対立自体は、お互いの主張の対立という感じでどちらが悪いわけではない対立なので、それはいいと思うんだけど、とにかく長一郎がひどい。

「内開きのドアなんて見たことない」と言うが、法律に違反していない限り、ガタガタ言わずに図面に書いてある通りに作ればいい。最初の図面は建築法に違反していたので100%柳沢が悪いけど、そうでないならとやかく言う筋合いはない。それこそ、プロの仕事が出来ていない。とにかく、「自分の経験にないこと」を全て否定してかかるその態度は「よくいる人間」だからこそ腹立たしい。柳沢と対立するのはいいけど、自分は仲間の大工を多数引き連れていて、その中で柳沢と対立するからただの陰湿ないじめにしか見えなくてこれも不快。

柳沢の腕っぷしなら本当は大工を全員なぎ倒せたと思うんだけど、それをやらなかっただけでも柳沢の方が全然人間が出来ている。後述のペンキぶちまけは擁護できないけど。

直介の母親の、ただでさえ柳沢と長一郎の対立で頭が痛い中で風水で絡んでくるうっとおしさ、青沼菊馬(親戚のおっさん??)の他人の不幸にあえて首を突っ込んでそれを見て喜ぶさまなど、まあ、ほんとに人間の見たくない部分、嫌らしい部分をよくこんなに切り取れるなあと感心する。

長一郎が陰湿なのは間違いないんだけど、この作品の真の戦犯は言うまでもなくデザイナーに柳沢を、大工を長一郎と決めた民子である。そもそも民子がこの布陣を敷かなければこんな争いは起きなかったし、仮に起きたとしても民子自身がしっかりと相反する二人の妥協点を探さなければならなかった。二人が直接まみえれば激突は必至で、それを覚悟のうえでこの布陣を敷いたのだから責任を持って手綱を握らなければならない。「決定権」はあくまでも民子が持つべきで、民子の仕事は「決断」なのだ。直介に「どこか他人事なんだよな」とか言ってる場合ではない。お前が動けしか言いようがない。なぜ被害者ヅラをしているのかが分からない。

三谷幸喜の監督作品は「ラヂオの時間」に続いて二作目なんだけど、やりたいシーンを重視しすぎてるのか、フォローが雑な印象がある。柳沢は壁にペンキをぶちまけた流れで首になっていたものだと思っていたから、嵐の夜にしれっと家の中に入っていてマジで何が起こってるのかわかなかった。どしたのあれ?みんなの記憶から消えたの??壁は塗り直したの???本当に意味が分からない。

家の建築みたいなときに身内を関わらすのは、いらないしがらみが邪魔して主張をしにくくなるからやめようね、というのがテーマなのだとしたらそれはもう骨身に染みるほど伝わってきたな、という感じである。
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