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吉良吉影は静かに暮らしたい

2024
05,02

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2020
09,26
そもそも、ホラーものなのに舞台が「白夜」というのが恐ろしい。ホラーは本来「夜」が本番のはずなのに、その「夜」が来ないという不思議な感覚。ゴア描写が思いっきり「見えちゃってる」のも夜の闇が無いという部分が大きく、あれはこの映画の特徴である白夜を強調するための必要なシーンだと思う。(途中から結構暗くなってる場面もあった様な気もするけど)

主人公のダニーは家族を失ってしまった事により精神的に追い詰められており、過呼吸になったり「家族」という言葉に異常に敏感になってしまってはいるものの、勝手に旅行を決めたり自分の事を疎ましく思い始めているであろう恋人のクリスチャンに対してもあくまでも「話し合い」を元に解決の道を探ろうとする理知的な女性に見えた。

そんなダニーに「襲い掛かって」くるのは古来からの「村の風習」こそが正しいと信じ切っている村人たち。その「価値観の違い」が如実に表れたのはやはり老人の身投げのシーンだろう。こちらの価値観から言えば残酷に見えたあのシーンも、村人の立場からすれば生命の輪に帰れる「喜び」なのだ。村の女性も言ってたけどこちらの様に老人ホームに入れられて「無駄に」生命の輪に帰るまでの時間を引き延ばされる方が彼らにとっては拷問なのだ。

ここで重要なのは「価値観に善悪はない」ということ。ホルガ村の風習自体は「悪」ではない。例えば壁画にあった求愛対象の食べ物に陰毛を、飲み物に経血を入れるというのも…「悪」じゃない。そういう習慣なのだ。クリスチャンは毛には気付いていたけれど、見ている側は飲み物もばっちり濁っている事も気が付けるので嫌悪感はさらに倍である。

村の中だけで完全にコミュニティが機能しており、ここに居る限り村人は「幸せ」に包まれて暮らしていける点では現代社会よりも優れていると言っても良い。

…しかしそれは、本当に村の中だけでこのコミュニティが成り立っていれば、という話である。現実問題として、「血」が濃くなりすぎる事を防止する為や「いけにえ」の為に外部から定期的に人を入れなければならない。ここがホルガ村の「影」の部分なのだ。そう考えるとダニーが不自然にクイーンに選ばれたのも、そもそもクイーンは外部の人間がなるように仕込まれていたんじゃないかという気にすらなってくる。

この部分に関してははっきりと「悪」であると断言できる。「ミッドサマー」で残念な部分(自分が期待していた展開と違う部分)はここで、あくまでも「価値観の違い」による恐怖を見せてくれのかなと思っていたけど、こういう展開になってしまうと「山奥のカルト教団に襲われて命の危機に晒される」というパニックものと根本的に変わらないように見えてしまうからだ。

ダニー以外の外部の人間は全員「いけにえ」として処理された。恋人であるクリスチャンにも裏切られたダニーは最後、笑っていた。

あれはきっと、ダニーがこの村の価値観を受け入れた瞬間だったのだろう。家族も恋人も失ったダニーだが、この村の価値観を受け入れてしまえば、村の中で幸せに暮らすことが出来る。それこそ、彼女が失ってしまった「家族」がこの村にはあるのだ。それを取り戻したからこそ、彼女は笑みを浮かべたのだと思う。
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