2018 |
01,21 |
いや、おいちょっと待て…。こ、これ…ロックマンじゃねえか…!?
CMはガンガンやってたので断片的には見たことがあったけど、常にマシュマロみたいなベイマックスがぷよぷよしてるだけで、一度たりともあのアイアンマンマンモードを見たことがなかった気がするぞ…??
もちろん、あの姿を「ネタバレ」と認識するなら当然隠すべきものだとは思うんだけど、この映画はジャンル的に言えば完全にスパイダーマンとかのヒーローものに属するものだと思うので、それを「隠してる」ようなプロモーションはどう…なんだろう…。いや、まあ、ヒロとタダシの絆もこの作品のテーマではあると思うので完全にミスリード、という訳ではないと思うんだけど…。
こんな議論は公開時にさんざんやられたと思うのだけど、結局日本のプロモーターがディズニーでヒーローものをやるのが「怖かった」んだろうね。スタッフはそこに「挑戦」してこの作品を作ったのだと思うけど、商業的視点を持つプロモーターはそんな冒険怖くてできなかった、と。そんであえて兄弟の絆の方に大きくスポットを当てた(というかヒーロー要素は隠した)宣伝を行ったんだろう。興業的には成功していたので、その宣伝方法は結果的に見れば「正しかった」となるんだろうけど、昨日のマッドマックスとは対照的に「思ってたのと違うな…」と思った人も少なからずいたとは思う。
プロモーションはともかく、ベイマックス。とにかくベイマックスが可愛くてカッコイイ。胴体が風船で膨らんでるという事をしらなかったのだけど、あの「キュッキュ」という風船音はすごく可愛い。新幹線ナレーションの様な落ち着いた声も良い。英語版で見たのだけど、吹き替えだとどんな感じだったんだろうか。
アイアンマンモードは強そうだ。物語のクライマックスでも使われる「ロケットパンチ」のカッコよさは別格。空手を取り入れた動きも、ベイマックスのあの体形でやると「動けるデブ」感があってすごくいい。
あとは何といっても、ヒロと一緒に空を飛ぶシーン。あのベイマックスが「空を飛ぶ」というアイデアだけでも鳥肌モノだけど、あの描写はめちゃくちゃすごい。子供の頃にあれを見せられたら、ずっと頭の中に残って離れないと思う。街を縫うようにして飛び回る動き、上昇して橋の先の海まで見通すあの景色。めちゃくちゃ素晴らしかった。やはり「空を飛ぶ」というのは永遠の子供の憧れなのだ。新エンジンを採用したという背景、特に空の綺麗さはすごかった。
マイクロボットも「画期的」感があってよかった。ただあれ、攻撃方法というか発想はスパイダーマンのサンドマンとかNARUTOの我愛羅の砂とあまり変わらなかったりする。
しかし、ストーリーはディズニーにしてはかなり疑問に思うところが多かった。そもそも、あの火事が一体なんで起こったのか良く分からなかった。結局、クレイは悪いやつであることに間違いはないんだけど、あの火事を引き起こした犯人じゃないんだろうし。もちろん、文脈から判断すればクレイが火を放って…というヒロの推察はあり得ることなんだけど、よくよく考えるとクレイがそこまでしてあの技術を欲しがる理由はないんだよな…。
いや、まあ、あそこは様々な新発明のお披露目の場だったので、そのうちの一つが原因で…とか、いくらでも脳内補完は可能とはいえ、ストーリー上の超重要事項が「なんとなく自然に起こりました」はなかなか受け入れられないところがある。
もっと言えば、あの火事が不慮の事故だったとするなら、キャラハン教授も被害者な訳でヒロに恨まれる理由もない。キャラハン教授も火に包まれて「やむなく」マイクロボットをつかったのはしょうがないと思うし、画面を見ている限りでは、タダシが教授を救いに行った直後にラボが爆発してて教授が「見捨てた」とかそんな描写はなにもなかったんだよな…。むしろ、キャラハン教授にしてみればタダシがラボに助けに来てくれたことすら知らなかった可能性すらあるタイミングだった。(のちの葬儀で死んだことは知ってたみたいだけど)完全に逆恨みの様な気が…しないでもない…。
さらに言うとキャラハン教授が復讐を実行するためにテレポーテーション装置を再起動することで、結果的に「娘の救出が行えちゃった」んだよね。「No!復讐」が基本なはずなんだけど、結果的に「復讐してよかった」になっちゃってる。だってあの装置、教授が当てつけ(「失敗」したテレポーテーション装置であえて本社を破壊する)で起動しなかったら永遠に再起動することはなかったんだし。
ぶっちゃけ、「仲間みんなでヒーローをやる」という必然性もかなり薄く感じるんだよな。ただ、これはマジでプロモーションの方向性のせいで、この映画が「ベイマックスと四人のヒーローアクション」!!って認識して映画に入ってれば、ヒーローモードの六人が揃ったところで「待ってました!」ってなるはずが、画面の前のめくるめく展開に「冷めた」目で見ちゃったことは事実としてあるとは思う。ただ、仲間みんなでヒーロをやってる描写自体は楽しかったし、「タダシを失ったヒロには仲間が必要」という要素としては理解できる。
あ、でも「心の中で生きてるって言われたって居ないものはいないんだ!」ってヒロが悲しみにくれるシーンはよかった。いや、実際ほんとうにその通りだと思う。でも、いつかは喪失に決着をつけなくちゃいけない。ヒロも最後はベイマックスの中にあるタダシのビデオで復讐をやめるわけで、あれを見たところで言ってしまえば「タダシを失った」という現状になにも変わりはないんだけど、それを「受け入れる」事が出来た。
言葉の意味を受け入れられるときと受け入れられない時がある、ということ。受け入れられないときは無理をしないでいったん距離を置けばいいと思う。いつか、必ず受け入れられる時が来るのだから。
CMはガンガンやってたので断片的には見たことがあったけど、常にマシュマロみたいなベイマックスがぷよぷよしてるだけで、一度たりともあのアイアンマンマンモードを見たことがなかった気がするぞ…??
もちろん、あの姿を「ネタバレ」と認識するなら当然隠すべきものだとは思うんだけど、この映画はジャンル的に言えば完全にスパイダーマンとかのヒーローものに属するものだと思うので、それを「隠してる」ようなプロモーションはどう…なんだろう…。いや、まあ、ヒロとタダシの絆もこの作品のテーマではあると思うので完全にミスリード、という訳ではないと思うんだけど…。
こんな議論は公開時にさんざんやられたと思うのだけど、結局日本のプロモーターがディズニーでヒーローものをやるのが「怖かった」んだろうね。スタッフはそこに「挑戦」してこの作品を作ったのだと思うけど、商業的視点を持つプロモーターはそんな冒険怖くてできなかった、と。そんであえて兄弟の絆の方に大きくスポットを当てた(というかヒーロー要素は隠した)宣伝を行ったんだろう。興業的には成功していたので、その宣伝方法は結果的に見れば「正しかった」となるんだろうけど、昨日のマッドマックスとは対照的に「思ってたのと違うな…」と思った人も少なからずいたとは思う。
プロモーションはともかく、ベイマックス。とにかくベイマックスが可愛くてカッコイイ。胴体が風船で膨らんでるという事をしらなかったのだけど、あの「キュッキュ」という風船音はすごく可愛い。新幹線ナレーションの様な落ち着いた声も良い。英語版で見たのだけど、吹き替えだとどんな感じだったんだろうか。
アイアンマンモードは強そうだ。物語のクライマックスでも使われる「ロケットパンチ」のカッコよさは別格。空手を取り入れた動きも、ベイマックスのあの体形でやると「動けるデブ」感があってすごくいい。
あとは何といっても、ヒロと一緒に空を飛ぶシーン。あのベイマックスが「空を飛ぶ」というアイデアだけでも鳥肌モノだけど、あの描写はめちゃくちゃすごい。子供の頃にあれを見せられたら、ずっと頭の中に残って離れないと思う。街を縫うようにして飛び回る動き、上昇して橋の先の海まで見通すあの景色。めちゃくちゃ素晴らしかった。やはり「空を飛ぶ」というのは永遠の子供の憧れなのだ。新エンジンを採用したという背景、特に空の綺麗さはすごかった。
マイクロボットも「画期的」感があってよかった。ただあれ、攻撃方法というか発想はスパイダーマンのサンドマンとかNARUTOの我愛羅の砂とあまり変わらなかったりする。
しかし、ストーリーはディズニーにしてはかなり疑問に思うところが多かった。そもそも、あの火事が一体なんで起こったのか良く分からなかった。結局、クレイは悪いやつであることに間違いはないんだけど、あの火事を引き起こした犯人じゃないんだろうし。もちろん、文脈から判断すればクレイが火を放って…というヒロの推察はあり得ることなんだけど、よくよく考えるとクレイがそこまでしてあの技術を欲しがる理由はないんだよな…。
いや、まあ、あそこは様々な新発明のお披露目の場だったので、そのうちの一つが原因で…とか、いくらでも脳内補完は可能とはいえ、ストーリー上の超重要事項が「なんとなく自然に起こりました」はなかなか受け入れられないところがある。
もっと言えば、あの火事が不慮の事故だったとするなら、キャラハン教授も被害者な訳でヒロに恨まれる理由もない。キャラハン教授も火に包まれて「やむなく」マイクロボットをつかったのはしょうがないと思うし、画面を見ている限りでは、タダシが教授を救いに行った直後にラボが爆発してて教授が「見捨てた」とかそんな描写はなにもなかったんだよな…。むしろ、キャラハン教授にしてみればタダシがラボに助けに来てくれたことすら知らなかった可能性すらあるタイミングだった。(のちの葬儀で死んだことは知ってたみたいだけど)完全に逆恨みの様な気が…しないでもない…。
さらに言うとキャラハン教授が復讐を実行するためにテレポーテーション装置を再起動することで、結果的に「娘の救出が行えちゃった」んだよね。「No!復讐」が基本なはずなんだけど、結果的に「復讐してよかった」になっちゃってる。だってあの装置、教授が当てつけ(「失敗」したテレポーテーション装置であえて本社を破壊する)で起動しなかったら永遠に再起動することはなかったんだし。
ぶっちゃけ、「仲間みんなでヒーローをやる」という必然性もかなり薄く感じるんだよな。ただ、これはマジでプロモーションの方向性のせいで、この映画が「ベイマックスと四人のヒーローアクション」!!って認識して映画に入ってれば、ヒーローモードの六人が揃ったところで「待ってました!」ってなるはずが、画面の前のめくるめく展開に「冷めた」目で見ちゃったことは事実としてあるとは思う。ただ、仲間みんなでヒーロをやってる描写自体は楽しかったし、「タダシを失ったヒロには仲間が必要」という要素としては理解できる。
あ、でも「心の中で生きてるって言われたって居ないものはいないんだ!」ってヒロが悲しみにくれるシーンはよかった。いや、実際ほんとうにその通りだと思う。でも、いつかは喪失に決着をつけなくちゃいけない。ヒロも最後はベイマックスの中にあるタダシのビデオで復讐をやめるわけで、あれを見たところで言ってしまえば「タダシを失った」という現状になにも変わりはないんだけど、それを「受け入れる」事が出来た。
言葉の意味を受け入れられるときと受け入れられない時がある、ということ。受け入れられないときは無理をしないでいったん距離を置けばいいと思う。いつか、必ず受け入れられる時が来るのだから。
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