2018 |
01,20 |
V8!!V8!!
最初のシーン、ビルが倒壊し、大津波に街が込みこまれていく様をみて、ああこうやって世界が崩壊したんだなあと思って見てたら、別の作品の予告編だった。おいいい、ワーナー!!レンタルBDでまで予告編を入れるんじゃない!(それとも、これが普通なのか…??)
こんどこそ本当に本編が始まったと思ったら「という訳で世界は滅んだ」というテロップのみで処理されていて、これはものすごい期待が出来るぞ!という感じだった。そう、こんなところに時間と予算をかけている場合ではない。おれたちはマッドな世界の爆走ショーを見に来ているんだ。
いまさら映画の内容を語るのもヤボというものだけど、とりあえず奇抜なマシンに、ブッとんでる人物たち、砂漠!!女!!ガソリン!!ヒャッハーこれぞ世紀末!!という感じの画面がほぼ二時間ひっきりなしで続いて、「こういうのが見たいんだよこういうのが」という期待は確実に満たされると思う。少なくともこの映画を見ようと思って、この映画をみた感想が「思ってたのと違う」となる事はまずないだろう。
基本的に背景が砂漠しかないのも、逆にメカや人物のアクションが映えるというもの。
ただ、画面の派手さとは裏腹、マックスもフュリオサもどちらかというと冷静なタイプの知性派で行動理念的にはかなり筋が通っているため、ストーリー的にしっちゃかめっちゃかになっている感じはしない。はっきり言ってしまえば、ストーリーラインとしては行って帰ってきてるだけなので、これ以上ないほどの一本道(物理)である。
フュリオサのいう「緑の地」というのはなんかこう…「約束の地」的なもっと象徴的な土地なのかと思っていたらちゃんと存在していたのには驚いたし、途中に通ってきた毒の沼っぽいところが「緑の地」のなれの果て、というオチも普通にビックリした。
というか、映画の基本構成として3/4を超えたあたりで主人公たちに最大のピンチが訪れるものなんだけど、私はこの映画において「主人公たちの最大のピンチ」というのは「車(ウォー・リグ)を失う事」だと思っていたので、失うのが「目的地」というのがビックリした。(というか、そもそも「目的地」は曖昧でずっと走り続けるものだと思っていた)
でも、やっぱり「逃走」を続けるのは不可能ということ。やはり敵とは「対決」し倒さねばならないのだ。通る道は同じだけど、その道を通る意味合いは前半と後半ではまるで違う。この時点でフュリオサの故郷で合流したばあさんズが加わって戦力もアップしていたのは非常に大きい。
ジョーの五人の妻はそれまでの登場人物とは明らかにパッと見ただけで「別格」な美人(というか生活環境が整ってたというのが大きいと思うけど)が揃っていて、これはジョーが必死に取り返しに来るのも分かるな…という感じで非常によかった。あと、砂と油にまみれた世界でもマックスの周りはこの五人の美女(とフュリオサ)が揃っていてFF5の様なハーレムパーティだったのもちょっと面白かった。
中盤からパーティに加わるニュークスくんはものすごい重要人物だ。最初はマックスを水筒がわりに持ってきた敵として登場し、ジョーに狂信的に忠誠を誓い、裏切られ、真実の愛(ぬくもり?)を知り爆散する…というこの映画のアンコウ(皮も肉も内臓も全部おいしく頂かれる)ポジションだ。孤高すぎるきらいのあるマックスやフュリオサよりも一番人間味にあふれていたのは彼だったと思う。
この映画は本当に説明がなくてほとんどが「考えるな感じろ」で構成されている。それゆえのスピード感というのも確かにあるし、それだけ画面で「世界観」を見せているという自信もあるのだと思う。(実際問題、それで成立しているのだからすごい)
フュリオサの義手という超重要要素もほぼスルーだ。もちろん、攫われてきたフュリオサが大隊長までになったのだ。それは筆舌に尽くしがたい苦労があったんだろうな…という事があの義手から伝わってくるのだけど、普通、こう…なんか…語りたくなるのが人情というものなんだけど、それらを全てのみ込み、駆け抜けたのがこの映画なんだ。
マックスのフラッシュバックもなにも解決しないまま終わった気がしないでもないけど、あれは…こう…過去作を見ていないのが悪いのではないか…という気がしないでもないので、そういうことにしておこう…と思う。
最初のシーン、ビルが倒壊し、大津波に街が込みこまれていく様をみて、ああこうやって世界が崩壊したんだなあと思って見てたら、別の作品の予告編だった。おいいい、ワーナー!!レンタルBDでまで予告編を入れるんじゃない!(それとも、これが普通なのか…??)
こんどこそ本当に本編が始まったと思ったら「という訳で世界は滅んだ」というテロップのみで処理されていて、これはものすごい期待が出来るぞ!という感じだった。そう、こんなところに時間と予算をかけている場合ではない。おれたちはマッドな世界の爆走ショーを見に来ているんだ。
いまさら映画の内容を語るのもヤボというものだけど、とりあえず奇抜なマシンに、ブッとんでる人物たち、砂漠!!女!!ガソリン!!ヒャッハーこれぞ世紀末!!という感じの画面がほぼ二時間ひっきりなしで続いて、「こういうのが見たいんだよこういうのが」という期待は確実に満たされると思う。少なくともこの映画を見ようと思って、この映画をみた感想が「思ってたのと違う」となる事はまずないだろう。
基本的に背景が砂漠しかないのも、逆にメカや人物のアクションが映えるというもの。
ただ、画面の派手さとは裏腹、マックスもフュリオサもどちらかというと冷静なタイプの知性派で行動理念的にはかなり筋が通っているため、ストーリー的にしっちゃかめっちゃかになっている感じはしない。はっきり言ってしまえば、ストーリーラインとしては行って帰ってきてるだけなので、これ以上ないほどの一本道(物理)である。
フュリオサのいう「緑の地」というのはなんかこう…「約束の地」的なもっと象徴的な土地なのかと思っていたらちゃんと存在していたのには驚いたし、途中に通ってきた毒の沼っぽいところが「緑の地」のなれの果て、というオチも普通にビックリした。
というか、映画の基本構成として3/4を超えたあたりで主人公たちに最大のピンチが訪れるものなんだけど、私はこの映画において「主人公たちの最大のピンチ」というのは「車(ウォー・リグ)を失う事」だと思っていたので、失うのが「目的地」というのがビックリした。(というか、そもそも「目的地」は曖昧でずっと走り続けるものだと思っていた)
でも、やっぱり「逃走」を続けるのは不可能ということ。やはり敵とは「対決」し倒さねばならないのだ。通る道は同じだけど、その道を通る意味合いは前半と後半ではまるで違う。この時点でフュリオサの故郷で合流したばあさんズが加わって戦力もアップしていたのは非常に大きい。
ジョーの五人の妻はそれまでの登場人物とは明らかにパッと見ただけで「別格」な美人(というか生活環境が整ってたというのが大きいと思うけど)が揃っていて、これはジョーが必死に取り返しに来るのも分かるな…という感じで非常によかった。あと、砂と油にまみれた世界でもマックスの周りはこの五人の美女(とフュリオサ)が揃っていてFF5の様なハーレムパーティだったのもちょっと面白かった。
中盤からパーティに加わるニュークスくんはものすごい重要人物だ。最初はマックスを水筒がわりに持ってきた敵として登場し、ジョーに狂信的に忠誠を誓い、裏切られ、真実の愛(ぬくもり?)を知り爆散する…というこの映画のアンコウ(皮も肉も内臓も全部おいしく頂かれる)ポジションだ。孤高すぎるきらいのあるマックスやフュリオサよりも一番人間味にあふれていたのは彼だったと思う。
この映画は本当に説明がなくてほとんどが「考えるな感じろ」で構成されている。それゆえのスピード感というのも確かにあるし、それだけ画面で「世界観」を見せているという自信もあるのだと思う。(実際問題、それで成立しているのだからすごい)
フュリオサの義手という超重要要素もほぼスルーだ。もちろん、攫われてきたフュリオサが大隊長までになったのだ。それは筆舌に尽くしがたい苦労があったんだろうな…という事があの義手から伝わってくるのだけど、普通、こう…なんか…語りたくなるのが人情というものなんだけど、それらを全てのみ込み、駆け抜けたのがこの映画なんだ。
マックスのフラッシュバックもなにも解決しないまま終わった気がしないでもないけど、あれは…こう…過去作を見ていないのが悪いのではないか…という気がしないでもないので、そういうことにしておこう…と思う。
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